Jaspella Gospel Guide
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すべて重荷を負うて苦労している者は、わたしのもとにきなさい。あなたがたを休ませてあげよう。
マタイによる福音書 11:28


2001年
9月11日

テロ事件の犠牲者とその家族へ祈りを込めて

西郷 純一 (ワシントン・アライアンス日本語教会牧師)

"The day the world changed"  このテロ事件を載せた経済誌「エコノミスト」は、表紙の見出しにこう記しました。
 あの悪夢のような日、恐怖と驚きが米国全土を走り、口々に、この事件を経験した米国は、「最早これまでと同じではあり得ない」とその国民をして言わしめたショッキングな事件の傷口。
 今、アメリカは苦しんでいます。その苦しみの中で必死に立ちあがろうと戦っています。世界中の人々が、それを見守っています。しかし、同時に、これは、米国民だけの問題ではありません。国際政治の点からも、道義的・人道的に言っても、一人の人間の人生、生死と言う実存的な問題からも、世界中、私たち一人一人の問題です。


  今も尚、この事件で被害を受けられた方々のために献血、物資・現金の寄付等々、多くの助けが求められています。また、悲しみの底に苦しむご遺族、重軽傷を負って回復のために戦う人々への励ましと祈りは、事件から日が立つにつれ、今後愈々必要になることです。更には、この事件及びテロ活動すべてに対する正しい対処のあり方を模索している、米国ならびに世界の指導者たちのために祈る必要もあります。

  ある調査によると、今米国では、直接の被災者だけでなく、全国民の三分のニにも及ぶ人々が、何らかの精神的ディプレッションを経験していると言われています。

  このような人々の否定的、消極的精神状態は、ただに彼ら個人の精神生活、夫婦生活、家庭生活に影響を与えるだけでなく、経済の専門家が指摘するように、米国の経済、ひいては世界経済にまで長く、大きな影響を与えると言われています。

  何故こんなことが許されるのか? 神はどこにいるのか? 正義はどこにあるのか? そして、何故私なのか? 今回の惨劇の中で、こんな質問と疑問が、多くの人々の心の叫びとなっていることでしょう。

  あの事件の夜、ブッシュ大統領は「私は、たとい死の陰の谷を歩いても災いを恐れません。あなた(神)が私と共にいるからです」と言う聖書の一節を引用し、演説をしました。

  その聖書とは詩篇23篇でした。その詩篇全体は、私たちの人生について素晴らしい三つのことを教えてくれています。それらは、特に、今回の惨事の中で苦闘し、自問する私たちに、何かしらの光と励ましとなることと信じます。

詩篇23篇 主(神)は、私の牧者であって、
   私には乏しいことがありません。
主は、私を緑の牧場に伏させ、
   憩いのみぎわに伴われます。
主は、御名の為に私の魂を生き返らせ、
   私を義の道に導かれます。
たとい死の陰の谷を歩いても、
   私は災いを恐れません。
   あなたが共におられるからです。
あなたのむちとあなたの杖が私を慰めます。
あなたは、私の敵の前で、私の為に宴をもうけ、
   私の頭に油を注がれます。私の杯は溢れます。
私の生きている限り、恵みといつくしみが伴います。
   私は、いつまでも、あなたの宮に住まいます。

人生は、移ろい変わるもの

  この詩篇は、まず、第一に人生が如何に変わりやすいものであるかを私たちに語っています。豊かな牧草と水に恵まれ、安全な場所でノンビリと暮している羊の姿を通して、この詩篇の冒頭部は、人間が順境な時に味わう幸せを描いています。

  しかし、その人生の絵が、突然、「死の陰の谷」、「災い」、「敵」等々の言葉が描く苦難と逆境の人生に変って行きます。人生には順境もあり、逆境もあります。どちらか一つの所に止まる保証は誰も持っていません。正に「よどみに浮かぶうたかたの、かつ消え、かつ結びて久しくとどまりたるためしなし」と歌われた無常の現実です。しかも、それはある時は緩慢に、またある時は青天の霹靂のようにやって来ます。

  9月11日の朝、ボストン、ダレス、ニューアークの飛行場に、またワールド・トレード・センター、ペンタゴンの職場に向かった人々とその家族の誰が、それから数時間後に起こる人生の急変を予測したでしょうか。あの日を境に、何万人、何十万人の人々の人生が急変しました。

  聖書に登場するパウロと言う人物は、キリストの中にその無常で、不安定な人生を生きる力を見出し、「私は、富みの中で生きる道も、貧しさの中で生きる道も知っている。私を強くして下さる方によって、私はすべての境遇の中で生きる秘訣を得た」と言いました。

地上が人生のすべてではない

  確かに、人生には順境と逆境があります。しかし、それらは、必ずしもすべての人に公平にやって来る訳ではありません。今回、同じ惨事に遭遇しながらも、ある人は助かり、ある人はその命を失いました。このような人生の現実の中で、境遇や運命に流されることなく、如何なる情況の中でも、不動の幸せを持つ人間の秘密が、この詩篇にもう一つ教えられています。それは、人生を「永遠」の角度から見ることです。

  この詩篇の作者であるダビデも、そう言う人でした。ですから、彼は、詩篇23篇の終の部分で、「私はいつまでも、即ち、永遠に、主の宮に住むでしょう」と言いました。彼にとっては、人生は永遠であり、この地上だけが人生ではありませんでした。

  それ故、たといこの地上での人生が逆境続きであったとしても、予想もしない若さで、死を迎えなければならない人生であったとしても、慌てませんでした。地上での人生は、永遠の人生から見たならほんのわずかで、短いものです。地上が人生のゴールではなく、人生の真の決勝地点は、死の彼方、永遠の世界です。

  地上的・物質的な幸せは、所詮いつかは消える束の間のものであり、やがて私たちが、永遠の決勝地点で味わう幸せの「サンプル」に過ぎません。

  「サンプル」としての地上の幸せを一杯経験する人もいるでしょう。その一方、ある人はサンプル的幸せをほとんど経験せずに、直接永遠の決勝点に向かう人もいるでしょう。この地上での人生は様々です。しかし、大事なことは、この地上に於ける順境の日々、逆境の日々のすべてが、やがて私たちが受ける永遠の幸いへと、私たちを準備するプロセスだと言うことです。

  今回の事件で、ピッツバーグ郊外に墜落したUA93の乗客の一人トッド・ビーマー(Todd Beamer)は、他の数名の乗客と共に、素手で勇敢にテロリストと戦い、惨事を最小限に食い止めようとした英雄の一人でした。彼は、キリストを信じ、人生を永遠の角度から見ている若きビジネスマンでした。(私事ですが、このビーマーご夫妻は、私の次女が、2年ほど前、出席していた教会で日曜学校教師としてお世話になった方々であり、今夏彼女が宣教旅行に参加した際にも、経済的にもご支援下さった方々でした) トッドには、二人の小さな男の子と来年1月に出産を控えた奥さんがいました。彼が、そのような情況の中にあって、勇敢に戦えた大きな理由は、「人生は死で終らない。永遠がある」、と言う確信をしっかり握っていたからです。

正義は勝つ

  この詩篇が教えていることのもう一つの大切なことは、今回の事件に関連してもよく言われている「正義は勝つ/Justice will prevail」と言う点です。

  この詩篇には、敵を前にして、堂々と祝宴を開いて下さり、勝利の徴として頭に喜びの油を注いで下さる神を信じていたダビデの姿が描かれています。人間が悪の脅威を恐れず、妥協せず、敢然と善を貫く為に必要なのは、「正義は勝つ」と言うこの確信と信仰です。

  しかし、このことと、今回のような事件に際し、武力戦争による報復攻撃を安易に是認し、その勝利を神が保証すると言う考えとを、短絡的に混同することがないように大きな警戒が必要です。

  しかし、また同時に、人間の世界から「正義は必ず勝つ」と言う確信が失われる時、私たちを人間らしく生きさせている、大切な何かが失われて行くことも事実です。神の存在を証明する議論の中に、「道徳的論証」と呼ばれるものがあります。すべての人が普遍的に、時代と文化を越えて、生まれながらに持っている善と悪の概念、勧善懲悪の概念等々、人間の心の中にある「道徳観」の存在そのものが、そもそもそれを人間の心に植え付けた道徳的存在者としての神の存在を前提条件とせざるを得ないと言うものです。

  この世にどのように悪がはびこったとしても、悪に負けず、義を貫く為に、この地上とそれを越えて、正義の勝利を約束していて下さる神の存在を信じる人生、ここにその強さの秘訣があります。

  「たとい死の陰の谷を歩いても、私は災いを恐れません。あなた(神)が、私と共におられるからです」とブッシュ大統領が、あの危機的な夜、国民に向けたスピーチの中で、聖句を引用したことにより、「このような力強い神が、私たちと共にいて下さる」と言う天からのメッセージが、被災者をはじめ、一人でも多くの人々の心に届くよう、そして、エコノミスト誌の表題のように、世界が本当の意味で変わって行くことを祈りつつ。



Arisu Communications

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