Jaspella Gospel Guide
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ふたりが言った、「主イエスを信じなさい。そうしたら、あなたもあなたの家族も救われます」。
使徒行伝 16:31


宇宙の理性と
人生の目的

科学の発見は、今
私達の人生に何を語るか

西郷 純一 (ワシントン・アライアンス日本語教会牧師)

 著名な世界的天文学者であり、また物理学者であるスティーヴン・ホーキング博士は、その著書「A Brief History of Time: From The Big Bang to Black Holes」( 邦題:ホーキング、宇宙を語る)の中の、「宇宙の起源と運命」という章で、次のように書いておられます。「できごとは恣意的に(気ままに)起こるのではなく、神意によるのかどうかは分からないが、とにかく背後にある何らかの秩序の反映であることを、徐々に理解してきたのが全体としての科学の歴史である」(同邦訳p.164)。

意図をもって造られた宇宙?

  ホーキング博士は、更に、また「これは、もしビッグバン・モデルが時間のはじまりまで、ぎりぎりさかのぼっても正しいとすれば、宇宙の初期状態は、実に注意深く選ばれたに違いないということを意味する。何故宇宙が、まさにこのやり方で始まらなければならなかったのかを説明するのは、われわれに似た存在を創造しようとする神の意図的な行為として見るのでなければ、大変難しいだろう」(同上、p.169-170)とも記しておられます。
  このように、ホーキング博士の例を始め、今日多くの科学者達が、その科学的な発見と観察に基づいて、現存する宇宙は、「意図と秩序をもって創造されたのではないか」と考えるようになってきています。これは、一頃前まで、多くの学者たちが、「現存する宇宙は、混沌と無秩序の中で、気が遠くなるような無数の『偶然』が積み重なってできた」と主張してきたこととは大きな違いです。
  現に、「Symbiotic Universe」という本を書いた天文学者ジョージ・グリーンシュタインは、自らの感想を次のように同書に記しています。「すべての証拠を眺めながら、何か超自然的な存在者がかかわっているという思いが絶えず浮かんできます。そう言うつもりはなかったのに、私たちが知らないうちに絶対的存在者がいる証拠を発見してしまったのでしょうか。私たちのために宇宙を摂理的に設計したのは神だったのでしょうか」(同上、27)。

宇宙観と人生の価値

  しかし、ここで大事なことは、このように最近の科学が立証(?)しつつあるとも言える、「宇宙が、目的と意図をもって造られた」とする見方と、それとは反対に、一頃前の科学者たちが多く主張していたような、「宇宙は、単なる偶然の所産に過ぎない」とする見方との違いは、私達の人生観、また生き方に大きな影響を与えることです。
  人間と言う存在が、単に「偶然の所産」としての「物」の一部に過ぎないと考えるなら、その論理的結論として、私達は、「人間とその人生には、絶対的な価値とか目的と言うものは存在しない」ことを認めることになります。そもそも、それが「偶然」と言うことの持っている意味です。「偶然」は、その言葉の持つ定義から言って、「必ず」ということを否定せざるを得ません。ですから、人間の存在が「偶然」だと言いつつ、同時に「あなたの人生には、必ず絶対に、価値と目的がある」と励ますのは、言葉の上の「あや」であり、人を励ますための「方便」ではあっても、論理的には思考の「矛盾」となります。「あなたの人生にも、もしかしたら偶然価値と目的があるかもしれませんね」としか言えないのが真実です。
  このことは、私達が、人生に於ける苦難と逆境に遭遇したときに、より重大となります。

逆境の中であなたを支えるもの

  その昔、一高(今の東大教養学部にあたる?)の学生であった藤村操(みさお)は、若くして人生の壁にぶつかりました。その中で、果たして人間は、「たとい押しつぶされそうな苦悩と逆境の中にあっても、なおも人生を放棄することなく、生きなければならない」と言えるほどの価値と目的をもっている存在なのか、という問いが心のうちに湧いて来ました。そして、その解答を、学問に、また周囲の人々に求めましたが、その答は得られなかったようです。「万有の真相は一言にしてつく、いわく『不可解なり』」と言う不可知論的辞世の句を遺して、彼はその若き命を「華厳の滝」に投じたのでした。
  人生には、生きる気力を奪うような苦難、逆境があります。そんなときに、「それでもなお、あなたは生きなければならない。何故ならあなたは、特別な目的をもって生まれてきた尊い存在なんだから」と言える人生は、「すべては偶然の産物」という唯物的な人生観からは生まれません。

この愛くるしい我が娘が…

  旧ソ連にいた一人の無神論者であり、共産党員であった男は、ある夜いつものように仕事から帰り、家族で夕食を済ませた後、リビングルームで新聞を読んでいました。そして、ふとそばで無心に遊ぶ幼い娘の姿に気づき、思わず暫くその愛くるしい横顔を見つめていました。その時、突然彼の心と頭をある思いがかすめたのでした。「この子が、この美しい子が、偶然の産物であるはずがない。造られたんだ。精密かつ緻密な愛の計画をもって造られたんだ」と言う思いでした。そして、その思いは、その日から決して彼を離れることがなく、やがて遂に、彼は神を認め、神を信じる人と変えられていったのです。

  聖書を通して神様は私達に語られます。「私があなたを創造した。私は、あなたを、私の栄光のために創造した。あなたは私の目には尊い。わたしはあなたを愛している」(イザヤ書)と。
  聖書は明確に、「人間とそれを取り巻く世界も宇宙も、みな神様の計り知れない愛のご計画と意図をもって造られた。それゆえ、人々の都合や目先の評価、社会の事情や風潮を超えて、私達一人一人には、永遠に変わらない尊い価値と目的がある」ことを告げています。
  あなたも造り主である神様のもとに来て、まことの人生の価値と目的を見出して見ませんか。

 



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