Jaspella Gospel Guide
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恐れるな。語りつづけよ、黙っているな。あなたには、わたしがついている。だれもあなたを襲って、危害を加えるようなことはない。この町には、わたしの民が大ぜいいる。
使徒行伝 18:9-10
下記の文章は第三者によるものであり、当サイトではその内容に関する一切の責任を負いませんのでご了承ください。

『クリスマスって本当は何なの?』
~知られていないクリスマスの秘密を探る~

高木 潤

Xmas、クリスマス、Christmas…

毎年、この時期になると辺り一面に見られる文字です。でも、これって何?Xmasとクリスマスと、Christmasは同じこと?そして、クリスマスって本当に「ロマンチックな夜」を恋人と過ごすときなの?

まず、Xmasという表記方法ですが、英語やローマ字の「X」ではありません。時に、「Xmas」を「エックスマス」と読んでいる人もいますが、この「X」はローマ字の「エックス」ではなく、ギリシャ語の「Chi」(キーもしくはチー)で、ギリシャ語の「クリストス」「キリスト」をスペルする時に使われる頭文字なのです。教会史にもこの「X」(Chi-チー)がキリストを指す略語として使っていた記録があります。

つまり、クリスチャン的なコンセプトから離れて、商業のネタとしてクリスマスを使うために「Xmas」という表記方法を使っているデパートや商店なども、無知からこのような表記方法を好んで使っていますが、実際に言っている意味は同じことなのです。

この「Xmas」についてはっきりとさせておかなくてはいけない理由は、日本のメディアとビジネスによって、クリスマスが、「"X"mas」や「セックスマス」であるかの様に宣伝されているからです。「恋人たちの夜」「イブは素敵な人と一緒に」なんていう文句は街中に溢れています。ですから、「X」が本当に意味することは、セックスではなく、恋人でもなく、プレゼントでもなく、サンタクロースでもなく、キリストであることをはっきりさせておく必要があるのです。

キリストは本当に12月25に生まれた?

一般にキリストの誕生は12月25日ではなかったと考えられています。もちろん、キリストの誕生日に関してはたくさんの聖書学者がたくさんの議論をしていますので、ここではっきりと何月何日だったという結論を出すことはできません。しかし、まず、12月25日ではなかったであろうとする理由を幾つか紹介してみます。

1.羊飼いが外で羊を飼っていた
天使が、外で羊を飼っている羊飼いのところに現われるシーンが聖書に記録されています。(ルカ2:8~9)羊飼いが、12月の寒い砂漠の夜を外で過ごせるはずはなく、ここからも誕生は冬ではなかったことが分かります。

2.ローマ帝国は冬に住民登録をするように命令するはずがない。
イスラエルや地中海近辺の冬は一部で物凄く寒くなります。それを知りつつ、自分の出生地まで「歩いて」行って、住民登録をせよという命令をローマ帝国が出したのなら、ローマ帝国は全国民の反感を買ってしまいます。当時、暖房の効いた列車も、車もなかったことを考えてみてください。

もちろん、聖書はこのキリストの誕生日に関して詳しい情報を明かしていません。そして、それによってたくさんの人がたくさんの意見を議論しています。僕の個人的な意見を言うならば、聖書が書いていないことに関しては、黙っているのが一番だと考えています。それは、聖書には僕らが知る必要があることはすべて記録してあると書いてあるからです。 (第二ペトロ1:3~4)

しかし、それにも関わらず、こうしてキリストの誕生日に関することを書くのは、まずクリスマスの本当の意味を知ることは、クリスチャンにとってクリスマスをどのように捉え、どのように周りの人に教えるかという点で非常に重要だと思うからです。クリスマスというイベントそのものは、たとえ事実としてキリストの誕生日ではないにしても、家族で集まり、教会でイエスがこの世に来てくれたことを考える機会として非常に重要なことです。そして、ビジネスやメディアに惑わされている若者たちに、クリスチャンが「信じ込んでいる」クリスマスではなく、「真実の」クリスマスを教え、それでも尚クリスチャンとしてこのクリスマスに重要性を見出していると伝えることは非常に重要だと思うからです。 それによって、僕らクリスチャンの周りにいるノン・クリスチャンたちが、僕らが単に「洗脳されて」いる人達ではなく、真実を真実と認めた上で、このクリスマスにクリスチャンとしての価値を見出しているというメッセージを伝えることができるからです。

まず、これから事実を検証する前に、はっきりとさせておかなければいけないことは、クリスマスというのはいわば教会の「伝統」であり、聖書的な行事ではありません。使徒行伝には、クリスマスやキリストの誕生日をお祝いしたという記録はされていません。

「え?でも3人の博士が来て赤ちゃんを礼拝したじゃない?」って言う人もいるかも知れませんが、マタイの福音書2:11をきちんと読めばこれが、誕生日のお祝いではなかったことが分かります。まず、マリアとヨセフはベツレヘムに住民登録しにきました。そこで宿を探しましたが見つからなかったので仕方なく、「馬小屋」に泊まって、イエスはそこで産まれますよね。しかし、このマタイの福音書2:11には、「彼らは家に入って幼い子供が母マリアと共にいるのを見ました」と書いてあります。つまり、馬小屋から「家」に引っ越した後で、この博士たちが来たわけです。では羊飼いたちはどうでしょうか?ルカの福音書2章16~17節にこの羊飼いたちがイエスを「見た」事は書かれています。でもここでは、「見た」という事実とそれをたくさんの人たちに伝えたという事実以外に、「お祝いした」という記載はありません。つまり、残念ながら、僕らクリスチャンも、クリスマスの劇などで、羊飼いと博士たちが馬小屋でイエスを拝むのを繰り返し繰り返しみてきましたが、これは僕らが作り上げた単なる伝統であり、想像の域を越えない事なのです。

イエスは何年に生まれたか?

もちろん、博士は馬小屋に来ませんでしたが、イエスは実際に処女マリアから生まれました。そして、聖書に記録されているイベントはすべて現実に起こったことです。しかし、問題は、イエスは何年に生まれたのか?という事です。一般に、イエスは西暦1年に生まれたと考えられていますが、本当にそうなのでしょうか?

イエスの誕生日を考える時に、このイエスが生まれた年を考えるのは非常に重要です。なぜなら、聖書には、イエスの誕生日の記載はありませんが、イエスが生まれたであろう年を計算できる材料が記録してあるからです。しかし、誕生日同様、この生まれた年もたくさんの議論が行われています。ここで紹介する、イエスが生まれた年が紀元前2年であったとする説も、絶対的な説ではなく、単にたくさんある説の中の一つに過ぎませんが、たくさんある中でも、個人的に最も納得のゆく説なので紹介しています。

まず、そのたくさんある説を形成する証拠として使われている記録をいくつかを紹介してみましょう。

1.ヘロデ大王はイエスが生まれた時に生きていた。
マタイの福音書2章には、ヘロデ大王が、メシアが生まれたことを聞きつける場面が記録されています。しかし、問題は、ヘロデ大王は紀元前1年1月14日に死亡したという歴史的記録があります。

2.チュートリアンによる記録
西暦160年頃、教会のリーダーであったチュートリアンは、アウグストゥスはイエスが生まれる41年前に支配を始めて、イエスが生まれた後15年して死亡したと記録しています。アウグストゥス帝は西暦14年8月19日に死亡したことが歴史に記録されていますので、これによれば、イエスが生まれた年は紀元前2年頃になります。

同じく、チュートリアンは、イエスがクレオパトラの死後28年目に生まれたと記録しています。クレオパトラは紀元前30年に死んだことが歴史に記録されていますので、これからもイエスが紀元前2年に生まれたことになります。

3.アイレニウスによる記録
西暦100年頃にアイレニウスは、イエスがアウグストゥス帝の支配の41年目に生まれたと記録しています。アウグストゥス帝は紀元前43年の秋にその支配を始めましたので、これもイエスの誕生が紀元前2年頃であったことを示唆しています。

4.パシィヴィウスによる記録
教会史の父と呼ばれたパシィヴィウス(西暦264-340年)は、キリストはアウグストゥス帝の支配の42年目、エジプトがアントニーとクレオパトラの死によってローマ帝国に服従する事になった年から28年目に生まれたと記録しています。アウグストゥス帝の支配から42年目を計算すると紀元前1~2年の秋となり、エジプトがローマに服従してから28年を計算すると紀元前2~3年頃になります。

これらの記録を基に、殆どの説によれば、キリストの誕生は西暦1年ではなく、紀元前2~3年であっただろうと考えられています。

洗礼者ヨハネからの計算

これらの、たくさんの説の中でも、僕が個人的に最も説得力があると感じた説は、洗礼者ヨハネに関する記録を辿ってイエスが生まれた年と誕生日を計算する方法です。僕がこれに興味を覚えたからと言って、この計算方法が正しいというわけではありませんが、たくさんある説の中でも、最もはっきりした計算方法を使い、更に聖書に記載されている事実と合致するという点で、説得力があると感じたわけです。

まず、この説を考えてみる前に、知っておかなければいけない予備知識があります。

1.神様はアロンとその子供たちを神殿で献げ物を捧げ、香料を焚く祭司に任命した。
出エジプト記25章から、神様はモーセに神様の幕屋(タバナックル)をどのように作るかを詳しく説明します。そして、この幕屋の中で神様の前に出て、神様が定めた献げ物を捧げ、香料を焚く人に、モーセの兄弟、アロンとアロンの子供たちを任命しました。(出エジプト28章)

2.ダビデがアロンの子孫を24の組に分けた。
歴代誌上24:7~18で、ダビデがアロンの子孫にくじを引かせ、それぞれを順番に1組から24組にわけ、それぞれの組が1ヵ月ずつ神殿で、神様に仕えるようにしました。

3.西暦70年、神殿が破壊されたとき、第一組が奉仕を始めたばかりだった。
タイタスが率いるローマ師団がエルサレムを陥落し、神殿を破壊した時、24組の内、第一組が奉仕を始めたばかりだったと、歴史家ジョシィーファスの歴史書と、ユダヤ教典タルムッドに記録されています。

この3つの点を頭に入れて、ルカによる福音書1章5節を開いてみましょう。

ヘロデがユダヤ地方の王だった時代に、ザカリアというアビヤの組に属する祭司がいた。

先の3つを頭に入れておけば、この箇所を読んで気がつくことがあります。まず、ザカリアは祭司であり、しかも「アビヤ」という人がリーダーだった「組」に属していたということです。では、「アビヤ」が何組だったのか、歴代誌24章を開いてみると、

7組はハッコズに、8組はアビヤに…(歴代誌24:10)

と書いてあります。つまり、ザカリアは8組だったということになりますよね。このルカ1章5節から更に読み進めると、8節にはザカリアの組の番が回って来て神殿の奉仕をすることになって、9節では8組の中で誰が聖所に入って香料を焚くかを決めるためにくじを引くとザカリアにそれが当たります。そして、ザカリアがこの聖所の中にいる時に、洗礼者ヨハネの誕生が予告されることになります。

そこで、神殿が破壊された年月日に1組が奉仕を始めたことが分かっているのですから、ここから逆算すればザカリアが神殿の奉仕を始めた年月日が正確に分かることになるので す。そして、これを計算すれば、ザカリアが神殿に入った日は、紀元前3年7月13日だったことが分かります。

この日ザカリアは天使から聞いた事を信じられずに、喋ることができなくなって聖所から出てきます。そして実際に妻のエリザベスが妊娠したのです。この時ザカリヤとエリザベスが何歳だったのかは明記されていませんが、ルカ1:7には「とても歳を取っていた」という表現があります。つまり、子供を産むには歳を取りすぎていたわけで、恐らくザカリアはインポにだったでしょうし、エリザベスも閉経していたと考えられます。それでも、妊娠してしまったというショックが、ルカ1:24に「エリザベスは5ヵ月間身を隠した」という形で記録されています。超高齢出産は、第三者卵子出産などが可能な現代でさえ「60歳の女性が妊娠」などという記事が新聞の一面に踊るほどですから、当時の人達の驚きは僕らの想像を超えていたものだったでしょう。

エリザベスが妊娠6ヵ月目に入ったときに、天使が今度はエリザベスの従姉妹の処女マリアに現われてイエスの誕生を予告します。そして、マリアはイエスの誕生と、エリザベスも妊娠していることを聞き、エリザベスに挨拶しに出かけました。マリアはエリザベスの所に3ヵ月間滞在したとルカ1:56に記録されています。つまり、エリザベスの妊娠が9ヵ月目に入った事がこのルカ1:56から分かります。もし、洗礼者ヨハネは、父ザカリアが聖所に入った日からちょうど280日後に生まれたのなら、洗礼者ヨハネの誕生日は、紀元前2年4月19日か20日だったことになります。

さて、ここでルカの福音書の1章から2章までを1節ずつ読むことはできませんので、各自で読んでメシアの誕生の状況をもう一度思い起こしてくれたという前提で、舞台をルカの3章に移してみます。

ユダヤ教では、ラバイ(教師)としてミニストリーをする最年少の年齢は、30歳です。つまり、30歳にならないと、教師と呼ばれることはできませんでした。ここ、ルカの3章では、皇帝タイベリウスの統治15年目に洗礼者ヨハネが荒れ野で洗礼を始めたと記録されています。では、先のヨハネの誕生日から計算して、この皇帝タイベリウスの統治15年目にヨハネは30歳以上だったのでしょうか?

タイベリウスの前の皇帝、アウグストゥスは西暦14年8月19日に死亡しました。よって、次の皇帝タイベリウスの統治15年目は、洗礼者ヨハネが30歳になった年という計算になり、この説によるヨハネの誕生日、紀元前2年4月19日が、ルカ3章に記載されている点と合致することが確認できます。

この説による洗礼者ヨハネの誕生日ですが、この日はちょうど、この年(紀元前2年)の過越祭の日にあたります。もちろん、この誕生日が過越祭と重なることに意味があるのかないのかは分かりませんが、考えてみると偶然にしても面白い偶然だと思います。

イエスの誕生日

さて、注目のイエスの誕生日です。僕らが聖書を読むと、イエスはヨハネより5ヵ月遅れて生まれたことが分かります。(エリザベスの妊娠が6ヵ月目に入った時にマリアが妊娠しました)マリアがエリザベスを訪ねたのは、エリザベスの妊娠6ヵ月目、つまり、この計算方法が正しいのならば、マリアは紀元前3年12月の最後の週にエリザベスを訪ねたことになります。もしも、イエスがこの日から280日後に生まれたとすれば、イエスは、紀元前2年9月29日に生まれたという計算になります。更に、この説は、その他の証拠が示している、イエスが「秋」に生まれたという見解と一致しています。

ヨハネの誕生日と同じように、イエスの誕生日はこの年(紀元前2年)の、トランペットの祭りの日と重なります。もちろん、この日が確実にイエスの誕生日だと証明する事は不可能ですので、この誕生日とお祭りの意味を深読みするのは問題ですが、面白い偶然です。

繰り返しになりますが、このイエスの誕生日には、いろいろな説があり、聖書学者たちが昔も今もこれからも議論し続けることですので、僕らが横から入って行って、それぞれの説にどうこう文句をつける必要もなければ、その意味もありません。しかし、僕らの知識として、このような議論が存在し、事実としてキリストの誕生日は、本当は12月25日ではなく、西暦1年でもないであろうということを認識しておくことは必要だと思います。

特に、エホバの証人(物見の塔)の人達は、どういう理由かは知りませんが、クリスマスをお祝いしません。そればかりではなく、この「クリスマスの嘘」を使ってクリスチャンの信仰そのものに挑戦してきます。こういう点でも、僕らクリスチャンがこの事実を知りつつも、12月25日のクリスマスが持つ意味を見出しておく必要があるのです。

なぜ12月25日がクリスマスに?

では、そもそも、なぜ12月25日がクリスマスになったのでしょうか?面白いことに、初期教会ではキリストの誕生をお祝いしていたという記録すらなく、12月25日が特別な日であったという記録は一つも見つかりません。教会史上、初めてこの12月25日が登場するのは、ファラカイラスが西暦354年(教会誕生から3世紀も経った後)西暦1年12月25日金曜日がキリストの誕生日であったと見なすと発表したという記録です。可笑しいのは、この西暦1年12月25日が実は金曜日ではなかったという事実ですが、これについてどうこう言うつもりはありません。

教会が正式にこの12月25日がキリストの誕生日だったと認めるのは、更に遅れてこれから1世紀ほど後の、西暦440年です。

では、教会が正式に12月25日をキリストの誕生日とする背景に何があったのでしょうか?まず、ここで注目すべき点は、この西暦300年から400年頃までに、教会史における大きな変化があったことです。西暦312年、コンスタンティンはローマ帝国の公式宗教としてキリスト教を採用することを発表しました。これによって、ローマ帝国の圧力の中で潜んでいたクリスチャンたちが突然、表舞台に登場することになりました。クリスチャンが公認されることと、クリスマスが12月25日になったことと、なにか関係があったのでしょうか?

実はクリスチャニティーが公認の宗教と認められ、12月25日をクリスマスと公式に発表するずっと前から、ローマ帝国では12月25日を祝日としていました。この祝日は、サトロナリア祭(Saturnalia festival)というお祭りです。この祝日は昔、人々が迷信深かったとき、冬になって徐々に日が短くなるのを見た人たちは、「あぁ、太陽が死んでいくのだ」と思い、暖炉に薪をくべて短くなった昼間をどうにか取り返そうとしていました。ところが、12月22日の冬至を過ぎてみるとまた、日が少しずつ長くなって来ているのを知り、太陽がもう一度力を取り戻したことを、12月25日にお祝いしたという言い伝えに由来する祝日です。実際に、この12月22日は日本でも「冬至」として知られています。ご存知だと思いますが、冬至というのは、太陽が赤道から最も遠く離れた位置に来ることで、昼が一番短い日のことです。現代の人達は、このメカニズムを科学的に理解していますので、このような人々の「迷信深さ」が滑稽にすら思えますが、当時の人達には太陽が照る時間が冬になると少なくなる理由が理解できなかったわけです。

このような自然現象を「神格化」することは世界中のどの歴史にも見られます。日本でも洪水や嵐を水や川の神様の「怒り」であると信じて、若い子供や女性を橋の基に生き埋めにしたり、川の土手で犠牲として捧げたりしたという話を聞いたことがあると思います。つまり、太陽の力が弱くなったという自然現象を見て、太陽の神様が「死にかけて」いると思うのは、当時の人達の意識からしてみれば、何の不自然さもなかったわけです。しかし、ローマに伝わったこの「太陽の神様」には、更に深い背景があるのです。

実は、この「太陽の神様」の起源は、バビロンにあるのです。バビロンという名前は、聖書を信じるクリスチャンにとって、エルサレムの次に最も目につく名前です。実際、聖書にはバビロンという名前が300回も登場します。更に、このバビロンという名前はイエスの系図の中に3回も記載されているというのは、無視できません。聖書におけるバビロンの位置づけは、イザヤ書47章に詳しく書かれています。聖書で初めてバビロンが登場するのは、創世記10:9です。ここには、「バビロン」という名前こそ記録されていませんが、バビロンを創始する人の名前が記録されています。創世記10:9に、「ニムロッド」という人が登場し、この人は主の前に勇敢な狩人だったと書かれています。そして、次の10節に彼の王国は「バベル」だったということも記録されています。このニムロッドこそが、あの有名なバベルの塔を作った人物で、バビロンの創始者なのです。そして、このバビロンこそ、世界に人が離散することになった場所で、最初の世界を征服した帝国が誕生した場所であり、エルサレムを最初に破壊したネビュカドネザルの王国があった場所で、キリストの到来をダニエルが預言した場所でもあり、サダム・フセインによって現在、再建築されている場所で、黙示録が預言する将来の「商業の中心地」であり、最後に「破壊」される場所なのです。

このバビロンに伝わる、ニムロッドにまつわる、ある神話があります。ニムロッドは王女にシムラマスを迎え、この二人にはバビロンで太陽の神と信じられることになるテイマズという息子が生まれます。この息子は太陽の神であったため、冬になり昼の時間が短くなればなるほど弱り、ついに12月22日の冬至になって死ぬかと思われたのに、25日になって「奇跡的」にまた日が長くなり、元気を取り戻して生き返りました。これによって、人々は彼の奇跡的なよみがえりを、「木に飾り物」をつけてお祝いした、というのがこのバビロンに伝わる神話です。

これこそ、ローマ帝国の祝日、サトロナリア祭が12月25日にお祝いされた理由なのです。バビロンはペルシャ帝国に、ペルシャはギリシャに、ギリシャはローマ帝国によってそれぞれ征服されましたが、その間もバビロンの神話とその宗教は帝国が変わっても受け継がれ、ローマ帝国でもサトロナリア祭として生き残っていたのです。

でも、サトロナリア祭とクリスマスとの間にどういう関係があるのでしょうか?偶然、両方とも12月25日にお祝いされるという結論に至るのは、あまりにも愚かすぎます。なぜなら、教会がローマ帝国に公認されるまで、クリスマスを12月25日にお祝いしたという記録が一つも見つからないからです。先にも書きましたが、最初にキリストの誕生日は12月25日だったとしたファラカイラスによる記録は西暦354年のもので、教会がローマ帝国に公認されたのは、この42年前の西暦312年だったからです。

日本でも、昭和天皇が死んだ後でも、天皇誕生日を「緑の日」として形を変えて受け継ぎました。特に国民の祝日などの場合は、その祝日の本来の意味はどうあれ、とりあえず残してお休みしたいというのは僕らの心情です。ローマ帝国のサトロナリア祭がクリスマスとして形を変えたのも同じ心情だったのではないでしょうか?当時の教会の指導者たちは、国家の宗教として、このバビロンに起源を持つサトロナリア祭をどのように扱うかを考え、キリストの誕生日としてお祝いすれば、国民の休日である12月25日はそのまま残るし、この迷信はなくなるしの一挙両得だと考えたのです。ここからクリスマスが12月25日にお祝いされるようになりました。しかし、表向きの祝事は変わりましたが、祝日の習慣は変わらず、テイマズの復活を「木に飾りをつけて」お祝いする習慣が、今でもクリスマスツリーとして残っているのです。

聖書的にこのクリスマスツリーが良いか悪いかは別として、クリスマスツリーとも思える面白い聖書の箇所が、エレミヤ記10章2節からみつけられます。もちろん、この箇所は、偶像崇拝を禁じている箇所ですが、「木を切って来て、金銀の飾りをつける」という書き方は、面白いリンクがありそうに思えたりもします。しかし、基本的に偶像崇拝を禁じている箇所ですので、全体的な意味からこの箇所がクリスマスツリーを「禁止」している箇所と取るのは、少し深読みし過ぎかも知れません。

バビロンの宗教とその神話は未だに僕らの生活や教会の伝統にも残っています。教会の伝統であるイースターも、本来このバビロン神話から由来するものです。ニムロッドの母イシュターは、バビロンの宗教で子宝の神と信じられていました。このイシュターは、ニムロッドはイシュターが処女だったのに受胎して生まれた子供だと主張し、一度死んでしまったニムロッドが死んで3日後に生き返ったのをお祝いするために、金の卵と、ウサギでお祭りをしたという神話がバビロンに伝えられています。よって、イースターの卵探しや、イースターバニーが、現代でも存在するわけです。更に、ハロウィーン(10月31日)はバビロンカレンダーで、一年の最後の日である事に由来していると一般に考えられています。

じゃ、サンタクロースは?

サンタクロースは架空の人物で、クリスチャンとは何の関わりもないという人もいますが、実際の「サンタクロース」は、クリスチャンとかなり深い関わりをもっていました。でも、前もって言わなくてはいけないことは、今、サンタクロースはいませんし、北極で生きているわけでもありません。

サンタクロースという名前は、もともとオランダ語の「シンター・クラース」(Sinter Klaas)を英語読みにした名前です。このシンター・クラースとは、4世紀にオランダで神父をしていた、聖ニコラスという人のことです。教会に伝わる伝統によれば、この聖ニコラスは単に子供が好きなおじさんだっただけでなく、西暦325年に行われた「ニケア会議」で、三位一体の教義に賛成票を入れた人として知られています。

つまり、サンタクロースはクリスマスに必要な人ではなく、僕らクリスチャンの信仰の基礎建設に必要な人だったわけです。

サンタクロースを子供たちにどう伝えるかは、個人が考えて決めることですが、子供たちの目が、サンタクロースという、あやふやながらも「何か、優しいおじいさん」という人物を見ているこの時期に、本当のサンタクロースの存在とその人が行った重要な仕事を教えてあげるのも良いかも知れません。

サンタクロースが本当にいるのかどうかは、子供たちにとって、非常に重要な「問題」です。僕が尊敬するクリスチャンの一部には、子供が小さい時にサンタクロースがいると言っておいて、騙しきれなくなるまで騙してから、本当はいないということを告げると、子供たちに、イエスは生きていると教えている事もいつか嘘だったと言われるのではないかという疑いを植え付けることになるという人もいます。もちろん、これは各個人が信仰と家族関係に従ってこれらのことを決めるべきで、ここで一方的にどうこう言うつもりは全くありません。

プレゼントは?

エホバの証人(物見の塔)の人達は、3人の博士たちがイエスに贈り物をしたから、お互いにプレゼントを渡すのはいけないと言っているそうです。(この博士たちが来たのは、キリストの誕生時ではなかったことは上に書きました)しかし、クリスマスがクリスチャンにとって意味があるのは、神様がわたしたち人類に、最大のプレゼントを贈ってくれたことです。旧約聖書には、この神様のプレゼントであるメシアの到来に関する預言が300以上も記録されています。そして、この約束の成就が始まったのが、その日付はいつであれ、このクリスマスなのです。クリスマスの本当の意味とは、サンタクロースでも、12月25日という日付でも、その由来でもなく、神様がイエス・キリストという永遠の神の独り子を人間の形で地上に、そして僕らを含むすべての人間に贈ってくれたことです。僕らがお互いにプレゼントするのは、博士がイエスにプレゼントしたからではなく、神様のこの莫大な恵みと愛を考え、イエスが自分の身を捨てる程、僕ら愛してくれたように、僕らもお互いを愛し、(ヨハネ13:34)その神様の愛をお互いに伝えるためにプレゼントすることは、現実にイエス自身に贈り物をしているのと同じことだからなのです。(マタイ25:37-40)



終わりに

本当のクリスマスとは、この神様によるメシアの約束を知り、それがキリストの誕生によって成就し、キリストの十字架の死によって僕らの罪が許され、キリストがよみがえることによって、僕らに希望が与えられたことをもう一度確認し、それを可能にしてくれた神様の絶大な愛をもう一度心に留め、自分の目を天国に向ける機会なのです。

いかにクリスマスの起源が、聖書の最初(創世記)から最後(黙示録)にまでイスラエルと神様自身への反抗勢力として扱われる「バビロン」に由来するものだとしても、そして、実際にキリストが生まれたのは12月25日ではないとしても、僕らクリスチャンは、クリスマスの本当の重要さを知っています。本当の重要さとは、クリスマスが12月25日になった理由ではなく、イエス・キリストが地上に来ることで、神様が千年以上に渡って300回以上も、繰り返し繰り返し約束してくれた、「救いの計画」が遂に実行されたということです。ですから、本来ならば、アドベントと呼ばれるクリスマス前の4週間は、この救いを待ち望むという意味で、「暗い」歌ばかり歌います。そして、救い主が誕生する12月25日にクリスマス・キャロルの「明るい」メロディーが流れることになるのです。

キリストの誕生日とは、僕らの誕生日のように、注目や物的利益から「うれしい」と思う日ではありません。僕らは、歳を取ることは今となっては特に重要なことでもありません。 反対に、誕生日が来るたびに憂鬱になる人すらいます。誕生日に周りの人から注目を浴び、いろいろなプレゼントをもらい、自分が重要なんだと自覚することで、自分の誕生日を「うれしい」と思います。しかし、キリストの誕生日は違います。キリストの誕生日を僕らがお祝いするのは、キリストを「お祝いしてあげている」のではありません。単なる義務感やプレッシャーからお祝いしているのではなく、キリストが誕生したという事は、僕らが破滅から救われたことを意味しているからこそ、僕らがお祝いするのです。

初代教会にキリストの誕生日をお祝いする習慣がなかったというのは、非常に面白い点です。初代教会の人達はキリストの存在そのものを知っていました。誕生日をお祝いしなくても、今でも生きていることを実感していました。そして、恐らくこのようなお祝いが、無意味な習慣や伝統と化してしまうことを嫌っていたと思います。サトロナリア祭がクリスマスに変えられたのは、ローマに伝わるバビロンの伝統を、良い意味のものに変えたという点で大きな意味があります。しかし、現代では、この良い意味のクリスマスがもう一度、自己満足的で自己中心的な、無意味な「ばか騒ぎ」に戻ってしまっています。もしも、僕らがバビロンの神話は愚かな文明未開発時代の迷信だと考えるのなら、僕らがクリスマスの夜やっていることを考えてみてください。僕らも文明未開発時代の人達が行っていた「ばか騒ぎ」と同類のことをしていませんか?もしくは、キリストの名において、するなと言われていることをこの日に限ってやっていませんか?キリストの名と神様の約束を、自分の都合の良いように使っていませんか?そして、義務感からお祝いしていませんか?

知らず知らずの内に、街中が豆電球と、赤と緑のリボンで埋め尽くされ、意味もなく単に「なんかうれしい」気分に浸り、みんながケーキを食べて、ワインを飲みはじめます。血眼になってイブにデートしてくれる相手を探している人もいるでしょう。今年もクリスマスがやってきたのです。意味もなく忙しそうにしていなくては、取り残されてしまったような気分にさせられる、そんな街の喧騒と周りの雰囲気に流されそうになったとき、街の飾りやクリスマスツリーではなく、夜空を見上げてみて大きく深呼吸してみてください。 クリスマスは、この莫大な空と、星と地球と、そして僕らを創ってくれた神様が、ずっと前から約束してくれていたことが、遂に実現した日なのです。こんな莫大な地球と宇宙を創った神様が、その中でひしめき合い、憎しみ合っている、僕ら人間を愛してくれているのです。両腕で抱きしめて、愛してるよって言ってくれているのです。だから、僕らが周りの雰囲気に流されて、焦ったり、突然孤独を感じたりする必要はないのです。神様はこの日を、僕らが神様の絶大な愛と約束を振り返る日として使う事を望んでいるのです。

神様の両腕に抱かれながら、僕らは神様から顔を反らして、恋人や、デートや、プレゼントや、飾りや、パーティーを見ていませんか?神様が抱きしめてくれている手をどうにかしてほどこうとしていませんか?そして、あなたはこのクリスマスを、どのように過ごしますか?

Bibliography

"The Christmas Story" ? Part 1, 66/40 with Chuck Missler, Chuck Missler
http://www.khouse.org/6640/holidays/20011126-209.html

"Is Christmas Christian?" CRI Statement DC275, Hank Hanegraaff
http://www.equip.org/free/DC275.htm

"ARE CHRISTMAS TREES IDOLATROUS?" CRI PERSPECTIVE CP9003,
http://www.equip.org/free/CP9003.htm

"Should Christians Observe Christmas?" CRI STATEMENT DC335, Elliot Miller
http://www.equip.org/free/DC335.htm

"SHOULD CHRISTIANS GIVE CHRISTMAS GIFTS?" CRI PERSPECTIVE CP9004,
http://www.equip.org/free/CP9004.htm

"Was Jesus Born On December 25th?" Net Bible Institute
http://www.nbible.org/bible/bible_answer.cfm?Q_Number=12&Course_ID=4

WEBSTER'S II New Riverside Dictionary for "X'mas" definition



Arisu Communications

JCFN New York