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彼らに踊りをもって主のみ名をほめたたえさせ、鼓と琴とをもって主をほめ歌わせよ。
詩篇 149:3

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クリスチャン用語集

[あ] アーメン (Amen) 「確証する」とか「支持する」という意味を持つヘブル語の「アーマン」に由来する。教会では、祈りや賛美・説教の時などに使われる。 「本当にその通りです」「本当にそうなりますように」の意味。
証し (あかし) 神様が自分に対してくださったこと(救い・特別な配慮すなわち恵み・聖書や試練からの教訓など)を他の人々に話すこと。
贖い (あがない) 奴隷に売られた者、あるいは敵の手に陥った者を、身代金を払って買い戻すこと。 聖書の中では、罪と関連させて「罪の赦し」を意味することが多い。私たちは、罪を犯したため、罪の奴隷、悪魔の奴隷になってしまった。そこで神は、その愛のゆえに、イエス・キリストの十字架の血という尊い「身代金」を払ってもう一度私たちを買い戻し、神の子としてくださった。
悪魔 (あくま)

罪と悪をもって神と人に敵対する霊的存在。聖書にはサタン、誘惑者、批判し訴える者、悪霊どものかしらとも記されている。最初の人アダムが神様よりも悪魔の言うことに従うことを選んで以来、生まれながらの人間は皆、この悪魔のとりこ(神に背を向ける者)になっている。
悪魔は元は神様の働きをする天使の長であったが、自分自身が神の代わりになろうとし、その尊い立場を失い、地に落とされた。悪魔と共に堕落した天使たちが、「悪霊」と呼ばれる霊的存在の者である。

アドベント (Advent) 日本語では「待降節」。ラテン語のAdvevntus(来臨)に由来する。イエスの誕生以前の4つの日曜日と1月6日までの期間で、待降節とも言われる。
憐れみ (あわれみ) 神様の私たちへの愛の一つのあらわれ。
私たちが自らの過ちによって受けなけらばならない当然の恥や呪い、罰を、神様が愛によって免れるようにして下さること。その最たるものがイエスの十字架。
イエスは私たちの罪の恥と呪いと罰を十字架の上で代わりに受けて下さった。
「あわれみ」受けるはずのものを、受けないこと。恵みとは別の意。
安息日 (あんそくび) 礼拝と休息のために神が定めた日で土曜日にあたる。ユダヤ人はこの日仕事から解放されて神に礼拝を献げ、魂の安息を得た。キリストの弟子達はキリストが死んで3日目の「主の日」(日曜日)によみがえったので、やがて日曜日に礼拝を守るようになった。
イースター (Easter) 日本語では「復活祭」。イエスが十字架にかけられ、3日目によみがえり、弟子たちの前に姿を現されたことにより、神であることを証明された日、またはそれを記念する日。 全教会の代表者が集まった、325年の二ケア会議で、「春分の日の次の起こる満月の次の日曜日」がイースターと制定。よってイースターの日は毎年異なる。キリスト教会の最大の祭りで、その名称はチュウ―トン族の春の女神Eostreに由来する。
イエス (Jesus) 聖書は、イエスこそ、その救い主メシヤ(キリスト)であることを宣言している。それで、キリスト・イエス(またはイエス・キリスト)と並べてその名を呼ぶようになった。 従って、聖書が「イエス・キリストを信じるなら救われる」という意味は、「イエス・キリストという名と姓を持った者が存在したことを信じる」という意味ではなく、「イエスを自分の罪の救い主キリストと信じる者が救われる」という意味である。
異端 (いたん) 元来は正統に対し、正統から見て容認しがたい特質をもつ考えやグループを異端と見なす。現代では、異端という言葉は、キリスト信仰を標榜してはいるが、キリスト信仰の基本用件であるキリストの十字架の贖いと復活による罪の赦しの教理と著しく異なる教えの体系をもっているカルト的宗団を異端と呼ぶことが一般的。カルト・異端対策リンク集を参照。
インマヌエル (Emmanuel) 「神は私たちと共におられる」の意。
栄光 (えいこう) 神様の素晴らしさのこと。例えば聖書は、イエス・キリストは神の栄光の現れであると言っている。つまり、イエス・キリストによって神の素晴らしさ-聖さ・正しさ・愛・喜び・平安・寛容など-が遺憾なく発揮された。クリスチャンの生きる目的も、神の栄光・素晴らしさを私たちの体で日々の生活において現すこと。
負目 (おいめ) すべきことをしないこと。 「」も「負目」も共に神の前にとされる。
[か] カトリック (Catholic) 「普遍」の意味で、ローマ教会の名称に用いられた。組織的には、イエスがペテロに与えた救いを与える鍵を、法皇が受け継ぎ、法王が教団の最高位に立つ階級制度をとる。天に貯えられた諸聖人の功績を、信徒に、彼らの献金や祈りに応えて法皇が分配する。死者は天国に入る前にいったん煉獄に入るが、地上にいる人々の祈りや功績によって、煉獄から天国に入ることができると言う教えに立つ。
カルト (cult) 元来は宗教か否かを問わず「小集団」を意味するが、新宗教・新新宗教を既成宗教と区別して「カルト」と呼ぶようになった。とくに、その中でマインドコントロールや、組織や教祖に対する過度の忠誠の要求などによって、家庭崩壊、人格破壊、学業放棄などの社会問題を併発する例が多発することから「破壊的カルト」と呼ばれる。カルト・異端対策リンク集を参照。
キリスト (Christ) 救い主の意。「キリスト」はヘブル語“メシヤ(「油注がれた者」の意)”のギリシャ語訳。「救い主として、神から特別に定められた者」という意。
聖書は、イエスこそ、その救い主メシヤ(キリスト)であることを宣言している。
(ぎ) 正しいことの意。聖書には「善悪の知識」は神様のものであり、天と地を創造された神様にこそ善悪の絶対的基準があると教えている。従って義とは、神様の前での正しさ、神の目でご覧になって正しいことを指している。
聖書にある「信仰による罪人の義認」というのは、神様がイエス・キリストを自分の罪の救い主と信じる者を、イエスの十字架のゆえに、義人と認めてくださることを言っている。
神様の要求に完全にかなった行為をして義人と認められる人は、一人もいない。イエス・キリストの十字架は、それゆえ神の義と愛の完全な現れである。
求道者 (きゅうどうしゃ) 信仰や真理を求めている人。一般的に、教会には来たが信仰を告白していない人、あるいはまだ洗礼を受けていない人のこと。
悔い改め (くいあらため) 心を正しい方向に向け変えること。方向転換の意。
神から離れ、神を礼拝しない心は、いわば神に背を向けた状態にある。聖書はそれを罪、と言っている。そこから色々な悪い事、問題、惨めな状態という「もろもろの具体的な罪」が生まれてくる。「根本的な神に対する罪」を認め、方向を変えて神に目を向け、神を信じる(信頼する)人になることが根本的な真の悔い改めである。
神様に対する『根本的な悔い改め』の後、人は神様の助けを受けて、もろもろの罪という間違ったいろいろな生き方に気付き、本来の正しい生き方に一つ一つ方向転換ができる。それが『クリスチャンとしての悔い改め』である。
偶像 (ぐうぞう) 天と地を創造し、救い主キリストによって現れ、私たちを完全に救ってくださる真の神以外の人間が造り出した神々の事。 ある時は人間が祭り上げられ、ある時は獣や大木、山などありとあらゆるものが礼拝の対象になる。金、銀、石、木などの材料でその形が作り上げられる場合が多い。真の神はこのような偽りや迷信、欲望中心の礼拝や儀式を偶像礼拝として聖書の中ではっきりと禁じている。
献身 (けんしん) 伝統的にはフルタイムの伝道者・牧師・宣教師になることを決意し、そのための備えとして神学校などに入ることを指す言葉として使われてきた。聖書が示す概念はより広く、からだ(全人格)を生きた供え物としてささげる生き方としての献身は全信徒に求められていることから、クリスチャンは全員献身しているはずだという見方もある。
ゴスペル (gospel) 元来は「福音」を意味するが、アメリカで黒人奴隷がその苦難の中で神への訴えを歌った黒人霊歌をルーツとする教会音楽が「ゴスペル(ソング)」と呼ばれるようになった。やがて黒人だけにとどまらず、白人の間にも広まり、音楽的にも多様なスタイルを包含してポピュラーな教会音楽を「ゴスペル」と称するようになった。よって、元来の黒人のゴスペルを「ブラック・ゴスペル」と呼んで区別することもある。
[さ]      再臨 (さいりん)  イエスが地上に救い主として来られ、天に帰られた後、終わりの日に裁き主として再びこの世界に来られること。 最初の来臨(クリスマス)は、私たちの罪を十字架で負うために来られた。しかし、2度目(再臨)は、救いの完成・神の国の実現のために来られる。今はそれまでの「恵みの時」。神は一人でも悔い改めるのを持っておられる。最初の来臨も再臨も聖書に詳しく預言されており、最初の来臨は完全に実現した。
サタン (Satan)  悪魔
サンタ・クロース (Santa Claus)  4世紀頃の司教で北欧に伝わる慈愛の聖ニコラスなどによる、貧しい者を憐れんで物を献げたり助けたりした行為が伝説化された空想上の人物で、クリスマスになると子供達にプレゼントを持ってくるとされる。このセイント・ニコラスのオランダ語発音「シンター・クラース」(Sinter Klaas)が呼び名の由来とされる。
三位一体 (さんみいったい)  神は唯一。すなわち人間を造った神は存在するが、人間が造った神は存在しない。聖書はその真の神が、父なる神・子なる神(イエス・キリスト)・聖霊(御霊)なる神であることを示している。このことを三位一体と表現している。
  • 父なる神:支配の中心 - 天におられる
  • 子なる神:救いの中心 - 天の父なる神の右におられる
  • 聖霊なる神:助けの中心 - クリスチャンの内におられる
聖書は、三位一体の神のそれぞれの働きがあって初めて、私たちは存在し、救われ、新しい人生に入り、祈り、よい実を結ぶことができるのだと教えている。
(しゅ) 主人のこと。聖書では天と地の究極の主人として「神」を指す。
イエスを「主」と告白することは、第一にイエスを神である救い主と告白することであり、第二に自分がイエスの「しもべ」であることを証しすることである。クリスチャンには人生の主人がいるゆえに、はっきりとした生きる目的がある。しかし、この主人を否定するなら、人はどこにも生きる目的を見出すことはできない。
十字架 (じゅうじか)  イエスの時代において、最も残忍かつ野蛮な死刑の道具および方法。その時代受刑者は、原則的に奴隷、強盗、死客、謀反を起こしたローマの属洲の重罪人に限られていた。イエスは、私たちが神に対して犯した罪のために受けねばならなかった刑罰を、私たちに代わって受けられ、十字架につけられて死なれた。
祝福 (しゅくふく)  神が私たちの真の幸い・真の喜びのために特別な配慮をして下さること。
必要な物が与えられるといった物質的なことの場合や、精神的・霊的・人格的な成長、訓練、また心の平安・喜びといった目にはみえないものの場合もある。
子供の願うことがすべて最善と言えるのではないので、親は愛のゆえに子供の願う通りのことをしないことがある。それと同様、人の願い通りになることだけが祝福なのではない。神様は愛をもって私たちに最善の訓練と導き、必要を与えてくださる。このような神様の私たちへの配慮こそ、何よりの祝福である。
受難日 (じゅなんび)  Good Friday
棕櫚の聖日 (しゅろのせいじつ)  Palm Sunday
救い (すくい)  人間の最も根本的な問題である「罪」と、最も根本的な危険である「罪の罰(永遠の裁き・死)」から助け出されること。それはまた、罪人の私たちが「義」と認められ、「永遠の命」を与えられることを意味している。
 罪や死が事実であり、現実的なものであるゆえに、神様はイエスの十字架と言う事実、現実によって私たちに救いの道を用意してくださった。イエスの救いは教えではなく、現実的な事実である。
聖ニコラス (Saint Nicholas)  セイント・ニコラスのオランダ語発音「シンター・クラース」(Sinter Klaas)がサンタ・クロース呼び名の由来とされる。西暦325年に行われた「ニケア会議」で、三位一体の教義に賛成票を入れ、クリスチャン信仰の基礎建設に重要な役割をした人だという説がある。
聖霊 (せいれい)  唯一の神の第3位格といわれる。聖書では「聖霊」以外に「霊」、「神の霊」、「主の御霊」、新約聖書では「キリストの御霊」「主の御霊」とも呼ばれている。 人がイエスを信じるように導かれ、信者と共に歩まれて、「助け主」とも言われる。
聖霊降臨日 (せいれいこうりんび)  ペンテコステ
洗礼 (せんれい)  信仰によって主に従う人生の歩みに入れられた印しとして、水の中に入って全身を水につけたり、水を頭に注いだりする。新約聖書でイエスが手本としてこれを示している。ギリシャ語ではバプテスマ。
[た]   待降節 (たいこうせつ)  アドベント
(つみ)  罪とは神に背を向け、神の律法(ことば)に逆らうこと。また、聖書の原語であるギリシャ語ではもともとの意味は「的(目的)を外す」こと。
良いことをしていても的(目的)を知らず、的をはずしているなら罪になる。例えば、掃除をすることは良いことだが勉強する時間に掃除をすることは罪である。同様にまじめに生きていることは良いことだが、神様を知らず、生きている目的(的)を知らずに的をはずして生きていることは罪といえる。 「」も「負目」も神の前では罪とされる。
天使 (てんし) 神に仕えて働く超自然的・霊的存在。天使はみな一様ではなく、人間同様それぞれ人格を持っている。神の命令に従って具体的な仕事を実行している。
しかし、あくまでも神様から委ねられて神様の働きをしているのであり、天使を礼拝したり、守護天使のようにお守りとすることは禁じられている。悪魔とは人間や他の天使から神のように扱われることを願って堕落した天使である。
(とが) してはならないことをすること。 「咎」も「負目」も共に神の前にである。
とりなし (とりなし) 神と人との間に立ち、仲介者となって働く愛の働き。
イエスは天の父なる神の右にいて、私たちの「罪の赦しのとりなし」をしておられ、聖霊なる神はクリスチャンの内にいて弱い私たちため、「祈りのとりなし」をして下さっている。
同様にクリスチャンは、祈りにより、また具体的な行いや伝道・証しによって、他の人々の救い・本当の幸いのため神に「とりなす」ことができる。
[な] ニケア会議 (Council of Nicaea) 西暦325年、現在のトルコのあるニケアという町で開かれた、全教会の代表者が集まった公会議。クリスチャン信仰の根本である「三位一体」を確立し、イースターを制定した。「サンタ・クロース」の由来とされる聖ニコラスも参加、「三位一体」の確立に一票入れたという説もある。
[は] 灰の水曜日 (はいのすいようび) Ash Wednesday
バプテスマ (baptisma) 洗礼
ハレルヤ (hallelujah) ヘブル語で「主を賛美せよ」、「主に栄光あれ」の意。他の人の賛美やメッセージ(説教)・証しなどを聞き、神に心の感謝と喜びを表したいときのこの言葉を使うことがある。
福音 (ふくいん) 聖書におけるイエスについての「よい知らせ」。ギリシア語では「エウァンゲリオン」で、英語ではゴスペル。
復活祭 (ふっかつさい) イースター
プレイズ (praise) 本来英語で「賛美」の意味だが、礼拝中にCCMを用いた賛美を指すことも多い。
プロテスタント (protestant) カトリックの教理と伝承にプロテスト(抗議する)の意味からプロテスタントと呼ばれる。16世紀に、カトリック教会の腐敗と「免罪符」の制度に対し、マーティン・ルターが聖書の事実を示して、これに抗議したことによって、彼と彼に続く改革者たちをプロテスタント呼ぶようになった。当教会もプロテスタントである。
平安 (へいあん) 神にすべてを委ねている人の、穏やかな心の状態を表す言葉。
祈りによって自分の願い事を神に知って頂いた人は、神が最善の答えを下さると確信しているので、周りに起こってくる出来事に悩まされない。神がすべてのことを益として下さるという聖書のすばらしい真理を知り、信じている人は、目の前の状況に左右されず落ち着いて「平安」に希望を持って生きることができる。
ペンテコステ (Pentecost) 50の意味。日本語では「聖霊降臨日」。 ユダヤ人3大祭の一つで、春の収穫感謝祭、五旬節、七週の祭りとも呼ばれる。イエスが十字架にかかり甦られてから40日目に天に帰られて後10日目、天から聖霊がくだって弟子たちに注ぎ、弟子たちが福音を伝えるように導かれ、世界中に伝道を始めたことをを記念する日。
奉仕 (ほうし) 神様の仕事、働きをすること。
教会は神の働きをする場として、神によってつくられた。クリスチャンはその教会において神に仕える。例えば、各種のイエス様の福音を伝えるための集会の準備(案内作成・配布・招待・会場準備・掃除等)、実施(司会・奏楽・案内受付係・託児・接待・カウンセリング等)、日曜学校、教会事務(会計・書記等)などいずれも欠かすことのできない神の働き、奉仕である。
ホサナ(Hosanna) ヘブル語で「今救いたまえ」の意。
[ま]   交わり (まじわり) 教会のクリスチャンたちが一緒に過ごすことを「交わり」という。
その内容はいろいろで、例えば、一緒に祈ること・聖書を学ぶこと・賛美すること・集会後感想を話し合ったり自己紹介をしあうこと、食事を共にしたり遊んだりすることなども含まれる。
導き (みちびき) 神が私たちに進むべき道を示して下さること。
神は私たちの人生に、また実生活に具体的な関心を持っておられる。それ故、私たちは祈りと聖書を通して、どの道をどのように歩んだら良いのかを神から教えて頂くことができる。
聖書の約束「心を尽くして主により頼め。自分の悟りに頼るな。あなたの行くところどこにおいても、主を認めよ。そうすれば、主はあなたの道をまっすぐにされる。」
恵み (めぐみ)  イエス・キリストを通して神から受けるすべての祝福のこと。『受ける価値のない者が、受けるはずのない尊いものを受ける』こと。
例えば、罪人に対する神のはかり知れない愛、イエス・キリストによる救い、キリストによって与えられる力など。「恵み」は一方的に与えられるもので、何かの働きによって与えられる「報酬」とは違う。
受けるはずのないものを、受けること。 「憐れみ」とは別の意。
[や]    委ねる (ゆだねる)  自分の道・重荷・思い煩いなどを神に任せ、神に信頼すること。
神は誰よりも私たちを愛し、私たちのために最善をなして下さる方であるから、祈って結果は神に委ねる。私たちはどんなに思い煩って心配しても、思い煩いや心配からは何も良いものを得ることはできない。私たちにとって大切なことは、今、自分に任されていることに対し、最善の努力を傾けることである。
『だから、あすのための心配は無用です。あすのことはあすが心配します。労苦(すべきこと)はその日その日に、十分あります。』(聖書)
預言・予言 (よげん)  預言は神の思い・意志・計画等について、神の言葉を預けられ、人々に告げること。
従って、預言は単に未来の出来事についてだけではなく、その時代の人々に対する忠告なども含む。同じ未来であっても、「予言」は預言の内の未来についての予測を言い、未来についての確実な神の約束については「預言」と言う。
旧約聖書の預言の中心はキリストの生涯と死と復活による私たちの神による救いを予告し約束することであった。そしてこれは予言ではなく預言である。
[ら]   律法 (りっぽう)  神の定め、ルール。また、人間の使命、あるべき姿など神様の私たちへの求め。
最も有名なものに「十戒」がある。そこには、私たちの神と人とに対するあるべき姿や姿勢、することができる使命や義務が要約されている。
新約聖書では、モーセ五書全体(モーセが書いた五つの書)、時には旧約聖書全体を指して用いられることもある。 
リバイバル (revival)  信仰復興・刷新などと訳される。停滞していた信仰が活性化されることから転じて、伝道が飛躍的に進展し信仰に入る人々が急増する現象をイメージすることが多い。クリスチャン、ノンクリスチャンを問わず神に対する真剣な「悔い改め」が起こることをリバイバルの特徴とする見方もある。
レント (Lent)  Ash Wednesdayから始まるイースターの前までの日曜を除いた40日間。イエスの苦しみと死を思い、イースターを待ち望む期間。四旬節、受難節、大斎節ともいう。全教会の代表者が集まった、325年の二ケア会議でイエスの荒れ野での40日間の断食に習って設定された日数。
路傍伝道 (ろぼうでんどう)  広場、駅前など、教会堂から町へ出ていって、説教や賛美、証しなどをして福音を伝えようという伝道の形態。
[わ]      
[A-Z] Ash Wednesday レントの初日。
中世から西方教会ではこの日に、初期には罪を悔い改めた者が頭上に祝別された灰(前の年のPalm Sundayに使われた棕櫚の葉を燃やしてできた灰)をかぶり、後期には全員が額に灰の印を受けて懺悔の印としたとされる。
CCM Contemporary Christian Musicの略。伝統的な讃美歌や聖歌に対し、ゴスペル・ソングなど新しい音楽のスタイルをもった賛美。形式的にはロック、ポップス、ジャズなど様々なスタイルがある。
Good Friday 日本語では「受難日」。イエスが十字架にかけられた日、またはそれを記念する日。「God's Friday」がなまったものという説がある。
Palm Sunday 日本語では「棕櫚の聖日」。イースターの前の日曜日。イエスが十字架にかけられる前、ロバに乗ってエルサレムに入城した際に、群衆が棕櫚の木の枝をとってイエスを出迎えたことからこう呼ばれる。

参考資料



Arisu Communications

JCFN New York