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神よ、わたしは新しい歌をあなたにむかって歌い、十弦の立琴にあわせてあなたをほめ歌います。 詩篇 144:9
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Spreading the gospel of gospel in Japan The Japan Times クラシックからジャズまで様々な音楽に対して暖かい包容力を持つ日本において、 現在大ブームにも及びそうなある情熱が燃え初めている。それはブラック・ゴスペルであり、 そのリーダー的存在ともいえるニューヨーク州オルバニー出身のロン・ラッカーと ペンシルバニアのアレクサンダー・イーズレイは、このスタイルの音楽に対しても 才能を証明できる人達が日本人にはいると言う。 「もし目を閉じたままニシムラ・アキコの声を聞くと、」ラッカーは信じ難そうに 首をゆっくり振りながら語る。「きっとアメリカの黒人ゴスペル歌手だと思えるはずです。 もう一人上手いのは私の友人でもある沖縄女性パット・オジマです。」 ラッカーとイーズレイは二人とも日本に約20年住んでいる。イーズレイは ポップやジャズ、ヒップホップも踊る堪能なダンサーだ。ゴスペルを教えているラッカーも 色々な楽器を演奏でき、二人とも歌手として日本で幾つかのアルバムを発売している。 ラッカーによると、生徒の半分はセミプロであり、数人は実際クラブなどで歌っているプロだ。 イーズレイは Riseというクリスチャンバンドと活動を共にし、日本の結婚式でのゴスペルは 「大ブーム」だと強調しながら「結婚式で忙しい」と語る。 日本人のブラック・ゴスペルに対する興味を促すのは、「特殊なフィーリング」だと、 ゴスペル・ニュースレターを出版し東京西部でヴォーカル・フィットネス・センターを運営するラッカーは言う。 「神の霊が音楽の中にあるのです。」とラッカーが言いながら、イーズレイはうなずく (二人とも経験なクリスチャンだ)。「いつも詩を理解してなくても、そのワビとサビによって 日本人の中に入っていくのです。アメリカの黒人の中に遺伝子として残っている気持ちであり、 通常冷酷な主人を持った奴隷が未来に対して希望を持ったその心なのです。 アメリカでのみ発展していったブラック・ゴスペルは、メソジスト運動を起こした イギリス人チャールズ・ウェズレイ (1707-1788)の書いた賛美歌を、黒人の奴隷達が 適応させたことがルーツだ。ウェズレイと彼の兄弟の出版した賛美歌の歌集は アメリカに持ち込まれ、主にメソジスト系を中心とした教会で使用された。 リチャード・アレン (1760-1831)によって設立されたアフリカン・メソジスト・ エピスコパル教会もそれらの賛美歌を使った。アレンは1799年に初めて黒人として メソジスト教会から按手を受けたという、奴隷ではなく自由の身の黒人だった。 「メソジストは最初で、当時としては唯一黒人を受け入れた教会でした。」とラッカーは言う。 「彼らは黒人の人達が教会のバルコニーに座るのを認めたのです。 奴隷所有者達は、奴隷達が字を読むことを習うのを禁止していましたが、いつも 会衆の誰かが - 通常は執事が - 呼応式を用いて賛美歌を一行ずつ、覚えるまで 歌わせていたのです。」 「もうお解りかと思いますが、ブラック・ゴスペルはただ単に座って書き始めて 歌える様になるものではないのです。」彼は続けた。「それはアフリカのそれぞれ 違う言語を話しす色々な部族から来た奴隷によって始められた古くから伝わる口頭での 伝統なのです。」 1900年代初期になると、呼応式から生まれた歌い方は「黒人霊歌」として発展していった。 アメリカ北部に広まり、得にシカゴでは、大きな黒人教会ではなく、通常20~30人集る様な「店先教会」で主に用いられる様になった。 「実はブルースの要素が強すぎるということで、大きな黒人教会では拒否されることが 多かったのです。」イーズレイは語る。「ブルースのコードを多く含んでいました。」 ブラック・ゴスペルとして知られる何年も前の話である。それには、その音楽に可能性を見出し、 一つの音楽の形態として推進させていく「触媒」が必要だった。それが「ブラック・ゴスペルの父」トーマス・A・ドーセイである。 20世紀初期、ドーセイは黒人バプテストの全国大会に参加し、E・O・エクセルという 男性が「I Do, Don't You?」という霊歌を歌っているのを聴き、それに刺激され、 後に「ゴスペル」として知られるスタイルの音楽を書き始めたのである。 また彼は、ウェズレイらによって書かれた賛美歌を黒人霊歌風にアレンジした、 黒人歌手チャールズ・A・ティンドレイにも影響を受けた。イーズレイによると、 ドーセイは快くティンドレイと「オフィスにいた賢い女性で、ドーセイが印税によって生活できる様、書く曲に著作権を登録してくれていた歌手のサリー・マーティン」に対してその「借り」を認めていたという。 ドーセイによるブラック・ゴスペル出発への努力にも関わらず、黒人教会はこれに容易に付いては来なかった。 礼拝が終わった後にのみ歌うことを許され、ドーセイはサリー・マーティンともう一人の黒人歌手ウィリー・メイ・フォード・スミスと共に歌った。 ラッカーによると、1940年代までブラック・ゴスペル・クワイアは登場しなかった。 「ドワイト・ムーディの影響もあって、1940年代にはブラック・ゴスペルの大きな目覚めがありました。 その後、コンテンポラリー・クリスチャン・ミュージックとして知られるホワイト(白人)・ゴスペルがブラック・ゴスペルとカントリー音楽の両方の影響により登場したのです。」 過去二年、ブラック・ゴスペルは、映画「天使にラブソングを(Sister Act)」とその主役を務めたコメディアンのフーピー・ゴールドバーグ、そしてホイットニー・ヒューストンが主役を務めた映画「天使の贈りもの(The Preacher’s Wife)」などの影響によってこれまで以上に注目を集めている。 ブラック・ゴスペルのアーティスト達にも名声を得る者が出て来た。ゴスペルやポップスなどのジャンルを超えて知られる兄妹コンビのビービー&シーシー・ワイナンズなどがそうである。 「ブラック・ゴスペルが上手くなるというのは、歌が上手くなるというのとあまり関係がありません。」 ラッカーは言う。「それよりも魂を持つかどうかが問題です。日本人だろうとロシア人だろうと…。 実はアメリカの黒人ゴスペル歌手の何人かは1920年代にロシアに行ってそのまま居残りました。 私は日本で生徒達にゴスペルのルーツを教え、ゴスペルが何か、何がゴスペルを特殊なものにさせるのかを 理解してもらい、ゴスペルが持つ特有の感じを与えているのです。」 Translated by Hisaharu Tanabe. |
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