【てんぷる通信】

by Kayo

June 3rd, 2002
Vol. 2

「自分で復讐をしないで、むしろ、神の怒りに任せなさい。」
(ローマ人への手紙12章19節)

  5月の最終月曜日は、ここアメリカではメモリアルデーで祝日でした。もともとは南北戦争で戦死した兵士達を悼み、敬意をあらわすものとして1868年に制定されましたが、後に、南北戦争だけではなく、すべの戦争で戦った兵士達にむけられたものとなりました。

  今では国の祝日となっていますが、この5月の最終月曜日以外にも南北キャロライナ州では5月10日、ルイジアナ、テネシー州では6月3日、その他南部各州でもそれぞれ南軍の戦士たちに敬意を表す日が設けられています

  今年は、NYでは、昨年9月11日に亡くなった方達をも覚えての記念式典がもたれました。

  この式典をテレビで見ていて、何となく違和感を感じたのは、過去の戦争や昨年のテロで亡くなった人たちを記念するメモリアルデーなのに、愛国心や復興に向けての意気込みはあっても、平和を願う方向には向かっていないんじゃないのかな、と思ったからです。

  特に今年は、昨年9月11日に亡くなった人たちを覚えてスピーチなどもなされていましたが、アフガニスタンで犠牲になっている民間人の数が、ワールド・トレード・センターで亡くなった犠牲者の数を越えてしまった今、単純に数の問題ではないかも知れませんが、本当にこの戦いが続けていくだけの価値のあるものなのかどうか、個人的にはものすごく疑問です。

  私は日本人ですから、アメリカ人としてのこのテロの受け止め方というものは、感覚としてはわかりません。「戦争はよくない」というきれいごとではすまないのかも知れません。でも・・・とすっきりしない気持ちが続いていた時に、上記の御言葉を思い出しました。

「自分で復讐をしないで、むしろ、神の怒りに任せなさい。」

  国と国との戦争レベルの話でなくても、例えば、私たちの日常生活の中でも、この言葉は深い意味のあるものになると思います。聖書が神の言葉であり、絶対的なものだと信じていない人は、「何を言ってるんだ。神が復讐してくれないから、自分でやるんだ」と思われるでしょうか。

  例えば。誰かに嫌がらせをされた。
これくらいのことだと、単純にやり返すのはあまりにも幼稚で、嫌がらせをしてくる相手と同じレベルに落ちるような気がするから、そんなことは気にしていないそぶりでやり過ごせるかも知れません

  でも、これは例えば、ではなくて事実なのですが、私の高校時代の知り合いが数年前に殺される、という事件がありました。犯人はすぐに捕まったので法の裁きに委ねることができましたが、もしも犯人が捕まらないままだったら。家族や親しい友人達のやり場のない怒りはどうすることもできなかったでしょう。

  「なんでも、隠されているもので、現れないものはなく、秘密にされているもので、明るみに出ないものはない。(マルコによる福音書4章22節)」と聖書では言っていますが、実際に傷を受け、苦しみの中にいる人たちは、とても、「そうですか。では神の裁きにお任せします」とは言えないですよね。

  でも、神の言葉は信頼するに足るものです。言葉だけではなく、神ご自身が、イエス・キリストが、見本を見せて下さいました。

  病をいやし、奇跡を起こし、また弟子として訓練したりしてきた人たちから裏切られて十字架にかけられた、その時にでも、「父よ、彼らをおゆるしください。彼らは何をしているのか、わからずにいるのです」(ルカによる福音書23章34節)と祈られました。【彼ら】とは、その当時、そこにいてイエス・キリストを実際に十字架につけた人々だけを指すのではなく、今、この時代に生きている、私たちひとりひとりをも指しています。それは、神が、その当時生きていた人たちだけの神なのではなくて、それ以前も、今も、そしてこれから先の未来にも、【人間】としてこの世に存在した、している、これからする、すべての人の神であり、すべての人の罪が「イエス・キリストを十字架につけた」からなのです。

  自分を裏切った人たちに、復讐することではなくて、とりなしの祈りを捧げることを選んで下さったイエス・キリストは、三日目によみがえられました。神に、すべてを委ねた結果、イエスは死からよみがえり、そのことを信じる私たちの罪がゆるされ、神との関係が回復されることになりました。

  昨年9月11日のことは、どのような理由があるにせよ、決して正当化されるできごとではないと思います。多くの犠牲者が出ました。マンハッタンに住み、マンハッタンにあるオフィスで働いている私は、何がどうなったのか、よくわからないまま、多くの人と同じように、しばらくは混乱状態でした。

  でも、このことを神の裁きに委ねることができていたら、アフガニスタンで亡くなった人たちは犠牲になることはなかったのに。米軍兵士の中で亡くなった人たちも、死ぬことはなかったのに。何千何万という人の命を左右する決定だっただけに、アメリカが攻撃を始めたときはかなりのショックでした。

  メモリアル・デーが、戦いで亡くなった人たちに想いを馳せるところから、もう一歩進んで、このような犠牲者たちを今後は出さないよう、平和を願う日になれば、と、願っています。

「自分で復讐をしないで、むしろ、神の怒りに任せなさい。」
(ローマ人への手紙12章19節)