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気がつけば、8月後半です。お久しぶりです。毎日暑いNYです。 最近、よく思い出すメッセージがあります。 「神はあなたが考えているよりも、はるかに、はるかに、大きな存在です。」 私は、神様の偉大さが全然わかってないんじゃないのかなぁ、と 思うことがあります。信じていると言いながら(もちろん、本気で 信じていますが)、神様のことを「こんなもんかな」って感じで、 小さく受け止めてしまっているんじゃないか、と。 からし種、って見たことありますか?本当に、小さいですよね。 直径1mmもないくらい。でも、この種が成長すると、 「野菜の中でいちばん大きくなり、空の鳥がきて、その枝に 宿るほどの木になる」(マタイによる福音書13章32節)と 言われています。 なぜ、そんなに大きく成長するのでしょう? …それは、種の中に命があるからです。つまり、生きているからです。 からし種と同じ大きさのプラスチックの粒を、土に埋めて水をやっても、 芽を出すことはありません。当たり前です。命がないからです。 イエス・キリストは、「わたしはよみがえりであり、命である」 (ヨハネによる福音書11章25節)と言われました。 「命」そのものである、イエス・キリストは、死んだ後、よみがえりました。 「だったら、最初っから死ぬことないじゃない。2000年前から ずーっと若々しい姿で生きていたら、それこそ神様っていう感じが する。」と言った人がいました。個人的には、もしもそんな人がいたら、 かなり気持ち悪いと思いますが、そういう考え方もあるのかー、とは 思いました。でも、ずーっと生きたままでは、だめなのです。 「罪の支払う報酬は死(ローマ人への手紙6章23節)」です。 私たちはみな、死をもって罪の報酬を支払わなければなりませんでした。 それをかわりに支払って下さったのが、イエス・キリストです。 イエス・キリストは十字架上で血を流して、死なれました。 「血は命であるゆえに、あがなうことができるからである (レビ記17章11節)」と聖書に書いてあります。 「血」が流されなければならなかったのです。 そしてよみがえったからこそ、死は終わりではなくなったのです。 そんな偉大な神様、宇宙とそこに満ちているものすべてを創造した、 大きな、大きな神様に、「あなたには、からし種一粒の信仰が ありますか」と問われる時、何と答えるでしょう。 はい、あります!と元気よく答えられるでしょうか。 え…、と口ごもってしまうでしょうか。 私たちが、イエス・キリストを救い主として信じ、受け入れたときに、 聖霊様が私たちのうちに宿って下さいました。それは、「命」です。 だから、私たちのうちには、「からし種一粒の信仰」があるのです。 ただ、時々、そのことを忘れてしまうことがあります。 神様の言葉(聖書)よりも、自分の考えの方が正しく思えたり、 神様を賛美するよりも、自分の努力を人にほめてもらいたくなったり。 私たちが信じている神様は、生きている神様であり、 その神様を信じる信仰は、「命のある」信仰です。 そして、その信仰も、神様から恵みとして与えられるものなのです。
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