耶蘇道: 和風教会堂(1)

耶蘇道

こんなシリーズを始めようかと思う…」みたいなことを書いたはいいが、既に3ヶ月以上が経ってしまった。言い訳をするようだが、ネタがなかったのではない。いざ書き始めようとすると、使えそうな話題が予想していた以上にあり、その上、自分には書きたかったことがたくさんあったということに気付き、自分自身の想いも入り乱れて、埒が明かない状態に陥ってた。

改めて祈ってたら、やはりここは初心に戻るということを語られたような気がしたので、とりあえず今回は表面的なことだが載せることにする。

このシリーズを始めようと思った際、真っ先に思いついたことの1つに、和風の教会堂というのがあった。調べたところ、決して多いとは言えないが、カトリックや聖公会では数件かは存在するようだ。

イエズス会宣教師フランシスコ・ザビエルが1549年に来日してからは、南蛮寺と呼ばれる、布教活動の拠点が建てられ、十字架は載せてあるが、基本的には和風建築だったらしい。

その後、徳川幕府により、キリスト教は禁止され、日本も鎖国になるわけだが、幕末の開国になって、キリスト教が再び布教される。禁教前のようにカトリックだけではなく、プロテスタントも入ってきて、『優れた西洋文明=キリスト教文明』という理念が日本にも持ち込まれた(これについては、別途改めて自分の考えを書くことにする)。

だが意外にも、海外からの宣教師の多くは日本では和風の教会堂が望ましいと考えたらしい。その半面、殆どの日本人聖職者は和風に反対したという。日本の国全体に西洋に追いつきたいという雰囲気があったのか、教会建築においても、和風のものは受け入れられることなく、建てられた教会の殆どが洋風のものだった。現代の感覚でいえば、多くの面において『西洋かぶれ』の時代だったのだろう。

そういう流れはしばらく続き、大正末期から昭和初期にかけて、やっと幾つか和風の教会堂が建てられ始めた。

その中の1つに、日本聖公会奈良基督教会がある。

現在の教会堂は1930年(昭和5年)に建築された、十字架さえなければ寺に見えるような正に和風建築だ。

こちらのページに幾つか写真が掲載されているが、外見だけではなく、内側も、礼拝堂の後方にパイプオルガンが設置されてはいるが、全体的に和風になっている。

2015年7月には、国の重要文化財に指定された。

日本のクリスチャンの中にも『キリスト教=西洋の宗教』という固定観念を持っている人達がいるような気がするが、こういうのを見ていると、昔から和風の教会堂がもっと多ければ、もしかしたら人々が足を運びやすかったのかもしれないという可能性を、少なからずとも感じる。

そういわけで、今後も、時々自分が持っている疑問点や思想なども織り交ぜながらも、建物や芸術などを中心に、基督信仰と日本文化が交わるような話題を紹介していく予定。

Jesus loves y’all.

 

参考資料: 清水建設