『明日に架ける橋』

        
  

2019年8月。

先日、母の命日だった。あっという間の10年だった。

毎年この頃は、母が大好きだったサイモンとガーファンクルの曲を普段以上に聴いてしまう。珍しく(?)、母はポール・サイモンではなく、アート・ガーファンクルのファンだった。「絶対ガーファンクルの方が歌が上手い。」というのが理由。事実、1990年の紅白歌合戦でポールが『明日に架ける橋』を歌った際、2人で「やっぱダメじゃなぁ…」と言ったりもした。

この『明日に架ける橋』、1番と2番の最後には「Like a bridge over troubled water, I will lay me down.」とある。訳すると、「荒波の上に架かる橋のように、自分が横たわろう。」といった感じだろうか。そして3番の最後は「I will ease your mind.」(君の心を和らげてあげよう)になっている。要するに、困難の中にある相手に寄り添い、自分が犠牲になってでも安心させようという詩の内容だ。

クリスチャンとしては、こんなのを聴くと、イエスのことを思い出さずにいられない。

サイモンとガーファンクルの曲の殆どはポールが書いてるが、この曲もまた例外ではない。ポールは自ら「宗教的な人間ではない」と言いながらも、「でもその割には、神や霊性について書くことが多い」ということも認めている。

尚、3番が「Sail on, silver girl.」というフレーズで始まることから、『silver girl』というのは銀色の注射針のことで麻薬に関する曲だという説があるが、実際には、若くして白髪が増え機嫌を悪くしていたポールの元妻ペギーに関するインサイドジョークとのことらしい。

この曲を書いた頃、ポールはゴスペルをよく聴いており、ある黒人霊歌に影響を受けてこの詩を書いたという。

『Mary Don’t You Weep』 (マリアよ、泣くんじゃない)という歌で、多くのミュージシャン達によって録音されているが、おそらく日本のゴスペルファンの間ではアレサ・フランクリンやテイク6のバージョンが有名ではないだろうか。他の多くの黒人霊歌同様、この曲にも色々な歌詞のバージョンがあるので解釈が様々なこともあるかもしれないが、このマリアというのは、イエスの母マリア(聖母マリア)や、12弟子と一緒にイエスと行動を共にしていた『マグダラのマリア』ではなく、マルタの妹でラザロの姉である『ベタニアのマリア』のこと。新約聖書『ヨハネによる福音書』11章に、病死したラザロがイエスによって蘇生されるという話があるが、弟の死を悲しむマリアとマルタを慰めるイエスのことが書かれた歌だ。ちなみに12章の高価な香油の話にあるように、シーシー・ワイナンズのヒット曲『アラバスターボックス』の『Mary’s alabaster box』というフレーズに出てくるのも、このマリアということになる。

当時ポールが聴いていたのはスワン・シルバートーンズが録音したもの。よくゴスペル歌手は、コンサートではもちろん、スタジオでの録音の際にも、原曲に自分でセリフを付け加えることが多いが、同グループのリーダーだったクロード・ジーターが、曲の後半にイエスのマリアに対する言葉として「I’ll be your bridge over deep water if you trust in my name.」(私のことを信頼するなら、君のために深い河に架かる橋になってあげよう)というのを入れている。(2分9秒あたりから)

この、アドリブで入れただけかもしれない一言に影響を受け、ポールはあの名曲を書くことになる。

クリスチャンの曲でもないのに、聴く度にイエスの愛を思い出させてくれる…と思ってたが、実際、そのルーツはイエスにあったということだ。素直に喜んでいいんだろうと思う。

十代で洗礼を受けてから天に召されるまでの50年間、うちの田舎にある教会に通い続けた母に、もしこの話をしてあげることができてたら、どんだけ喜んでくれてたか…。

Jesus loves y’all.

“Losing My Religion”

        
  

CDなんて買ったの、何年ぶりだろうか。

でも今回は、アルバムのタイトルだけ見て、あえてレビューなども読まず、シングルカットされてラジオでやたら流れている一曲以外は全く聴かず、予備知識抜きで思い切って買ってみた。

数日前にAmazon.comから届いて、以来毎日車の中で聴いてる。

日本でも何年か前にゴスペラーズと共演して、クリスチャンじゃない人達にも多少名前が知られていると思われる、ゴスペル界の革命児カーク・フランクリンの新盤。

タイトルがなんと『Losing My Religion』。直訳すると『宗教を失う』みたいな感じなんだろうが、アルバム全体を通して聴くと、『失う』というよりも『捨てる』かな。

最初に入ってるのは、タイトル曲というより、カークが詞を読んでいるんだが、これが重い。

例えば、

「誰が正しくて誰が間違ってるのかとか、毎週日曜には、誰が白人で誰が黒人かで分かれたりして…」

「給料が安いからといって、てめぇの信仰も最低賃金を越えれられてない。だから世界を救うという時にも、何を語ればいいのか判らない。」

「もし愛してるはずの『兄弟』がゲイだと告白してきたら、突き放すのか? 脱退するまで裁き続けるのか? そいつが体感できる福音を伝えろよ。そいつが必要としてる、真実を包んだ愛を与えろよ。十字架は、俺みたいな奴も含めてみんなのためのものだろ。」

「宗教は牢獄だが、真実は俺達を自由にしてくれる。」

などなど、とにかく今自分が共感できることの多くが、カークによって語られてる。

(ちなみに、昔、REMというバンドが同名のヒット曲を出したが、カークもこの詞の中で一言だけ触れている。)

5曲目の『Pray For Me』も、「こんな裁かれても、ただ成長の邪魔になるだけだ。自分の罪なんて判ってるよ。着飾った言葉や綺麗事ばかりの嘘じゃなく、ただ俺のために祈ってくれ。」といった感じで、これまた宗教的なことをどうのこうの並べる前に、とにかく祈ることに専念しようという内容。

その次に入ってる『Wanna Be Happy?』は、前述のとおり、シングルカットされてるんで、ラジオでしょっちゅう聴いてたが、タイトルから想像させらそうな、「主を賛美してたら、心が平安で幸せな気分になる」といった、よくありがちな曲じゃなく、「今のままじゃいつまでも幸せにはなれない。この状態から抜け出したかったら、自分はどけて、イエスに舵を取ってもらえ。」という内容。個人的には、途中の「寝ながら泣きまくったり、両手を挙げて賛美したりしても、自分が(イエスに委ねるということを)理解するまでは何も変わりゃしないよ。」という部分が気に入った。


今回のカークのアルバムは、既成の『宗教』なんて捨てて、イエスとの『関係』に専念するべきだということを伝えている。いや、これまでも彼の作品にはそう思わさせられるものがあったような気がする。

確かに、神という、実在するかしないか証明できないのを信じてるということ自体が『宗教』だと言われればそれまでかもしれない。

でも『宗教』という言葉の意味は学者の数ほどあると言われていて、もしそれが拘束するものなのであれば、自分の『信仰』ってのは『宗教』だと思いたくない。

むしろ、新約聖書の中に含まれている、イエスの生涯について書かれた四つの福音書を読めば読むほど、イエスが否定していたのは、ユダヤ教の一部の祭司達だけではなく、実は宗教一般だったんじゃないかと思うことも多い。

とにかく、カーク、今回も見事にやってくれた。

結局、『形』じゃなくて『心』ってことかな。

Jesus loves y’all.