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見よ、わたしは戸の外に立って、たたいている。だれでもわたしの声を聞いて戸をあけるなら、わたしはその中にはいって彼と食を共にし、彼もまたわたしと食を共にするであろう。 ヨハネの黙示録 3:20
A・B・シンプソンの生涯 少年は成長していった。母親は、幾度か彼に、ひそかに賛美の一べつを注いだことであろう。彼は礼儀正しい、上品な子であった。そして、大きい輝くような目をした、愛くるしい、優しい顔は、シェリ(注-イギリス人の詩人、1792-1822)を思い出させ、母親にとっては、見飽きることがなかった。しかし、まず信仰がさきに来なければならない。そして、シンプソン家から信仰を除いたら、あとには何も残らないといってもよかった。両親は子供たちを、スコットランド人の先祖の方式にならって育てることにした。厳しい訓練、厳格な規則、うるさいほどの行動の制限、それに加えて、後年になって彼が少しもわからなかったと告白した多くの神学が、毎日、彼の頭に詰め込まれていった。そのうえ、教会、家庭礼拝、教理問答、改革派の教父たちの、分厚い本、そしてまた祈り、教会などが連続する生活であった。ところが不思議なことに、このような宗教的な家風のただ中にありながら、だれも、この感じやすい熱心な少年に、どうしたら救われるかについて話してやることを、思いついた者はなかったのである。すべてを与えた神も、いのちそのものさえも、彼の敵のために、少年の教育の中では、悲しくも見過ごしにされていた。この事は、彼にとって破滅にもなりかねない事であった。 この厳格な宗教的訓練は、少年を恵みの神に導きはしなかったが、この幼い多感な少年の心に、宗教は人類にとって欠くことのできないものであるということを、徐々にしみ込ませてゆくことはできた。十歳のころ、すでに彼は、牧師になりたいというあこがれを、ひそかにいだいていた。十代になってもその願いは去らなかったが、しかし、そのために犠牲を払うのはいやだった。彼の知っていた当時の牧師というものは、むっつりとしていて、わざとらしいところが多くあったに違いない。と言うのは、彼のあかしを総合してみると、彼が、牧師になろうか、それとも教会の礼拝から逃げ出して、人間としてとどまろうかという問題で、自分自身と戦っていたことがわかるからである。彼は幾度か死と戦った。 そして、あの人をかたより見ないもの(死のこと)の冷たい息を、首すじにまざまざと感じたとき、彼は人間性を放棄して----彼にとって牧師になることはそれを意味していた----福音を語り伝えようと決心したのである。義務観念がこれを命令したのだ。そして、「たとえ天が落ちて来ようと正しい事をする」という決心を断行する勇気を彼が奮い起こしたことは、彼の信用を打ち立てることとなり、また、両親にとって永遠の名誉となったのである。すべての決心が不完全なものであると同様に彼の決心も不完全であり、また、その中には悲しくも恵みを強調するものを欠いていたとは言え、なおもそこには、神に従おうとする魂の発露が見られる。しかし、それにもまして、ジェーン・シンプソンが、「もしこの子が生きながらえ、自分でその気になりますならば、この子を牧師か宣教師にして下さい」とおそるおそる神に祈った祈りを神がお忘れにならなかったことを、それは示している。そればかりでなく、南洋諸島につかわされた使徒ジョン・ゲディー----彼は少年に、生後まもなく洗礼を授け、主のご用のために彼をささげた----が聖霊の感動を受けて彼のために祈った熱い祈りをも、神はお忘れにならなかったのである。 これが、人間に対する神のなさり方である。どんなに口先のうまい正統説が、傷つくばかりに反論を唱えたところで、それを証明する事実がそこにあるのだ。アルバート・シンプソンは、まだ救われないうちに神の召命を受けたのであった。これについて、神はこう言っておられる、「わたしはあなたの名を呼んだ。あなたがわたしを知らなくても、わたしはあなたに名を与えた」。もし神が、エレミヤがまだ生まれないさきに彼を聖別し、彼を立てて万国の預言者とすることがおできになったのなら----そしてそうされたのなら----神は、アルバート・シンプソンをも、たとえ新生していない若者であっても、伝道者として呼び出すことがおできになったはずである。----そしてそうされた。この少年に関するかぎり、彼はどうにかして福音を伝えるだろう。それで彼の問題は解決した。 牧師になりたいという決心は、決して彼を離れることはなかった。十四歳の時には、すでに、この目標に向かって進むために、家庭教師についてラテン語、ギリシア語、高等数学などを勉強していた。からだは弱かったが、この年ごろの少年にしては、はるかに高い所まで進んでいたのである。そして、不可能な事まで試みようとしていた。しかし彼はこの年になるまで、魂の満ち足りる恵みをまだ経験していなかったことを忘れないでほしい。彼はまだアダムの子でありながら、神の子にしかできない事をしようとしていたのであった。彼は霊的な牧師になりたいと思っていた。しかし、自分がまだ肉の中にあることを知って悩んだ。そして時々、自分の生まれつきのものと、しつけによる後天的なものとの食い違いを、自分の中に発見するのだった。どんなに自分の知性でそれを押さえようとしても、自分の内にある競争意識と奔放な想像力とを、どうすることもできなかった。すでに詩人としての彼と、神学者としての彼が、自分の内で戦っているのだ。ジョン・キーツ(注-イギリスの詩人、一七九五-一八二一年)とジャン・カルヴァン(注-フランスの神学者、一五〇九-一五六四年)が、最後の勝利を占めようとして、彼の中で戦っていた。少年アルバートは、そのいずれでもあったため、たとえどちらが勝ちを得ようと、激しい一撃を受けることはまちがいなかった。教師たちは彼を、堅い土の上に二本の足でしっかり立つ、善良で、しっかりしていて、論理的で沈着な、ありふれた若者にしようといっしょうけんめいだったのであるが、彼の生まれつきの性格は、そのような教育と一致しようとしなかった。それは、彼に向かって永遠に歌いかけ、彼を誘惑して、この陰うつな大地から青空に向かってはばたくようにと誘いかけて来るのだ。 十五歳になる少し前に、彼は家庭教師から学ぶことをやめて、自宅から一四、五キロメートルほどもあるチャザム高等学校に入学することにした。もちろんこのためには、どんな天候の日にも、往復三十キロメートルの道のりを毎日通わなければならなかった。カナダのその地方には、実にさまざまな天候があったのだ。彼は、家の畑で使わないときには、できるだけ馬に乗って行くことにした。しかしなお、十五歳の少年には多すぎるほど、しばしばその道を歩かなければならなかった。しかも彼の体格は人一倍きゃしゃにできていたのである。 さて、例の不思議な変化がいよいよ起ころうとしていた。疑いを知らない少年の姿が消えて、物事を洞察する人間が出現しようとしていた。最初は一つのものが、次には他のものが優位を占めるのだ。これに肉体的な悪条件が重なって、彼の内には、すでに激しい戦いがあった。無理な勉強は彼の神経を弱め、しだいに彼を絶望のふちに追いやろうとしていた。そして突然、ぎっしりと並んだ本や、人間の全体的な堕落に関する説教、滅びゆく人々ののろいなどに対して積もり積もってきた恐怖が、まるで茂みからおどり出たししのようにうなり声をあげて彼に襲いかかり、彼の魂を、滅亡の恐ろしさの中に投げ込んだのである。彼は苦しみのあまり大声をあげた。しかし、だれも彼を助ける者はなかった。母のところに行って恐怖を打ち明けるのは、内にある自尊心が許さなかったし、父のところに行くには、彼はまだ臆病な少年に過ぎなかったのである。 さて、人間には限界がある。そしてこの悩める少年は、十分に苦しんだのだった。あの「恐ろしい崩壊」の瞬間が突然やって来た。このときの事を、後年になって彼は感動深く書きしるしているが、あたかも天は、恐怖におびえた彼の目の前に音をたててくずれ落ちるかに見え、頭上には、目もくらむばかりの光がひらめいた。なつかしい大地は足もとからくずれ去り、彼はぐるぐる回る渦の中心に投げ込まれて、そこで粉々になるのではないかと思われた。肉体がこの渦に巻き込まれるのを感じただけでなく、更に悪いことには、精神的にもこの渦の中に巻き込まれてしまったので。彼は激しい苦悩の中に飛び込んで、まるでピンで突き刺されたはえのように、一つの思想の先に突き刺さって動けなくなってしまった。もう終わりだと思った。あのテーブルの上の時計の針がその時刻をさしたら、そのとき死ぬのだ。そして今は四分前だ! どんな助けでも、今ならまにあうだろう。この更に大きな恐怖の前に、彼は、自尊心も臆病さも捨てて、父親に向かって、「ここに来てぼくのために祈って下さい」と、大声で叫んだ。父親も彼を見捨てるようなことはしなかった。錬磨された厳格な外見の下には、優しい愛情に満ちた、スコットランド人の偉大な魂が潜んでいた。彼にとって少年は何ものにも替えがたい貴重な存在なのだ。たぶん、次のようにすることはいつもの彼のやり方ではなかったであろう。それに、その場合、聖書のどこを読んでいいか思い出すことができなかった。しかし、父親としての愛から、教義上よいか悪いかを考える余裕もなく、彼は下に降りて行き、かわいいむすこのために、あらんかぎりの力をふりしぼり、ひざまずいて自分の魂を注ぎ出した。神はこのふたりをあわれんで下さり、少年は少し気分が楽になった。しかし、それから何日間も、だれかがそばにいるのを確かめなければ眠ることができなかった。そして時々、彼の消耗しきった神経に、鋭い棒のように突き刺さって離れない、あの死の苦しみのとき、その時が来ると死ぬのだという観念に襲われて、けいれんの発作が起きた。その時間が過ぎても彼はまだ生きているのだと言われても、彼には信ぜられなかった。そして、これほどの死の苦しみを味わっている少年に、だれもまだ、単純な福音を伝えうる者がなかったのである。不思議なことに、あの放蕩むすこの話を思い出す者はひとりもなかった。遠い国から帰って来たむすこを、震える両手でしっかりと抱いて言った年老いた父の優しい言葉、「このむすこが死んでいたのに生き返り、いなくなっていたのに見つかったのだから」……この言葉を彼に伝える者はなかったのである。愛のない訓練は、ただ心を凍らせ、精神を曇らせるだけの力しかない。こうして哀れな少年は、神のゆるしという慰めもなしに、自分の力で、肉体を回復させるために戦わなければならなかった。
しかし、神はご自身の計画を誤ることはされない。彼の魂がまだ苦悩の中にもがいていたとは言え、肉体が再び立ち上がれるまでに回復したある日、牧師の図書室で、並んだ本に顔を近づけていたとき、全く思いがけなく、彼が長いこと待ち続けていたあのすばらしい瞬間が、彼を訪れたのである。彼はマーシャルの「聖化の福音に関する奥義」という、かびくさい古ぼけた一巻を取り出して、何気なくページをぱらぱらとめくった。突然彼の目は、その中から火のように立ちはだかった文章にぴたとはりついた。
これで十分だった。飢えかわいていた彼の魂、鋭く張りつめていた彼の心が、必要としていたものは、イエス・キリストだったのである。彼は喜びの声をあげて、床の上にそっとひざまずき、たった今与えられた約束の言葉で祈りを閉じた。そのとき、彼の魂には、今までの恐れは大波が引くように取り払われて、罪がゆるされたという甘美な、平安に満ちた確信が満ちあふれた。 神は、ししの口から彼を救い出されたのである。 |
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