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よくよくあなたがたに言っておく、わたしの言葉をきいてわたしをつかわされたかたを信じる者は、永遠の命をうけ、又さばかれることがなく、死から命に移っているのである。 ヨハネによる福音書5:24
A・B・シンプソンの生涯 聖書の中で、使命に立ち上がる前に羊を飼っていた預言者は何人あったか、あるいは、学校の教師をしていた現代の預言者は何人あるかと調べてみるのは興味があると同時に、意義のある事だと思う。多くの成功した牧師にとって、教室が教会に至る入り口となってきたのである。アルバート・シンプソンも、その例に漏れなかった。彼は、自分がお金を必要としていたことを知り、神が、彼が経験を必要としていたことを知っておられた。そこで、わずか十六歳の----しかも彼は年よりも若く見えた----彼は、基礎的な教育を受けるためにカナダから集まって来た、自分より年上の生徒たちの大勢いる教室の中に、少年らしい威厳をもってはいって行った。中には、彼の二倍も年上の生徒もいた。しかし、この生徒たちは皆、小羊のように彼に従った。彼は、なぜだろうかと不思議に思っていたのであるが、実は、その謙遜な性質のために、彼らが自分の天性の統率力に敬服しているのだということを見落としていたのである。生徒たちは、彼から何かを感じていた。それが何か、だれもはっきり言える者はなかったが、この知的な、確信に満ちた少年に服従したくなるようなものが彼の内にあるのを、彼らは感じ取っていたのである。彼らの直感は正しかった。彼は生まれつき指導者であり、大衆を感化する影響力を持っていたから、もし神の道以外の道に落ち込んでいたら、彼は危険な人物になったことであろう。
人を教え、また自らも勉強したこの時代に、彼の霊的いのちは、流れのほとりの草のように成長した。この時代の彼のあかしを見ると、この少年が信仰の新しいいのちの中で、どんなにたくましく育っていったかを示す語句で満ちあふれている。
彼は、文字どおり、聖書のみことばをむさぼるように読んだに違いない。そして、特に好きな個所を、彼は「言うに言われぬ恍惚の境地」と呼んでいた。巨人の出現はまだだったが、彼は賢くも、霊的な直感で、谷間からなめらかな石を選んでいたのである。のちに彼は、それを必要とするであろう。(参照 サムエル上一七・四〇) 彼の教師としての生活、熱心な勉強、信仰の誓約、そして霊的な探究----これらすべての中に彼を導く二つの目的があるのが見られる。一つは神意による環境の糸が預言者の外套を織りなそうとする、全面的な神の目的であり、少年はかすかにこれを意識していただけであった。もう一つは、彼が確固として意識していた自分自身の目的であった。と言うのは、この、いつも微笑を浮かべている上品な少年には、何か甘い人を迷わすものがあったのである。そのおとなしい外見の下に、鉄の意志がひそんでいた。彼の意中には、一つの目的があって、それが完全に彼を支配していた。かつて彼が牧師になるという召命に立ったとき以来、この強力な「目的」は、彼の残りの生涯を通じて、慈悲深い主人となり、彼を占領し、動かしていたのであった。自分の人生の目的をはっきり知っていた人間が、もしあったとするなら、それこそA・B・シンプソンであった。彼は、「人のおもな目的は何か」という古い質問に、自分の行いと言葉で答えようと準備していた。それ以外の答えでは、彼のような男は満足できなかったのである。 |
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