Jaspella Gospel Guide
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よくよくあなたがたに言っておく、わたしの言葉をきいてわたしをつかわされたかたを信じる者は、永遠の命をうけ、又さばかれることがなく、死から命に移っているのである。
ヨハネによる福音書5:24

A・B・シンプソンの生涯
第四章 「彼は城壁を乗り越えた」

   「シンプソンのむすこのアルバートが、牧師になる召命を受けたそうだ」 というニュースは、たちまち広がって、チャザムへの道を通り抜け、オンタ リオ湖のケント地方一帯の人々にまで伝わって行った。しかし神からの召命 だけでは十分でないことが、まもなく、この大望ある預言者にわかってきた。 この国で、長老教会の講壇に立って自分の声を聞いてもらうには、まず、先 輩の預言者の承認を得なければならないのである。その承認を得るのは、決 して容易な事ではなかった。当時の長老教会は、講壇の回りに高い城壁を築 き、よほどの英雄でないかぎり、その城壁を飛び越えることはできないよう になっていた。このいなか育ちのひよこは、どうするつもりなのだろうか。

   しかし、当時多くの人から尊敬されていたウィリアム・ウォーカー師の支 持と、少年の父親であり長老であるジェームズ・シンプソンの信望とによっ て、少年は、その筋の教会の指導者層から注目を集めた。こうして彼は、一 八六一年の秋、十八歳の誕生日を迎える二か月前に、幾人かの他の候補者た ちとともに、オンタリオ州ロンドンにおける、威圧するような空気に満ちた 荘厳な長老会議の前に立ったのである。しかし最初の幾時間かは、彼らはた だ黙ってすわっているだけで、故意に無視されていた。それは長い間無視さ れ、ほうり出されているのを耐えたあとで、なお彼らのごう慢やうぬぼれが 少しでも顔を出しているかどうかをためされる時間であった。試験官たちは 皆、純粋なキリスト者の原則に立つ人々であったことは疑いもない。そして、 皆、それぞれ善意の人々であっただろうということも、信ずるにかたくない。 しかし、この会議は優しくしている時ではなかった。そこで、彼らは、少年 たちをひとりずつ取り上げて、どうして牧師になりたいのか、また、牧師に なるに必要な要素を彼らが備えているかどうかを試験した。

   さて、そのときの候補生は皆、よい指導を受けた人たちであったに違いな い。と言うのは、彼らは皆、無事に試験にパスし、正規の牧師となるため、 ノックス大学に入学するように、長老会議から推薦されたのであった。

   このときから一か月もたたないうちに、アルバート・シンプソンは、トロ ントにあるノックス大学に入学して、勉学の道についた。その第一日目から、 大ぜいの中で彼がなみなみならぬ能力を持った若者であることが明らかにさ れた。彼が立ち上がって話すときは必ず、すべての者の目が彼に注がれた。 小鳥にとって歌が容易であるのと同じく、彼には説教が容易であった。彼は 「生まれつき」の説教家であって、どのように説教するかなどを習う必要は なかったのである。

   故郷の友人は、遠く大都会で勉学している彼について、よいうわさをたく さん聞いた。皆は、彼が才能ある少年であり、将来、学識の世界において高 い地位を占めるであろうと思われるような、頭の働きの鋭い、知識の豊富な 若者であることを知っていた。しかし、彼に説教ができるだろうか----これ が、友人たちにとって問題であった。頭のよい学生であるだけでなく、よい 説教家であるという証拠を見せることが若いアルバートに望まれていた。そ れに反して、慎重なスコットランド人の隣人たちは、彼に対して、ああして ほしい、こうしてほしいという願いは、何も持っていなかった。彼らはただ、 自分の耳で聞くときまで待つつもりであった。

   やがてクリスマスの休暇が近づき、アルバート少年が短い休暇を取って帰 るということが知れ渡ると、関心は急に高まってきた。そして、彼の家に近 いチルバリーのの教会では、ある日曜日の朝の礼拝のとき彼に説教を頼もう ということになった。預言者は自分の故郷の人々からは敬われないものであ るのに、その日曜日の朝、この小さな教会に集まった人々は、隣人や親しい 人々を除いてだれがいただろうか。中には、疑いながら来ている者もいた。 好奇心から来た者もあった。シンプソン家の人々は全員そこに集まっていた。 彼らは列を成してすわり、彼が成功してくれることを夢中で望んでいたので、 つかえて失敗してしまう場合を想像して緊張していた。

   やがて、礼拝室の戸があき、説教者がはいってくると、会衆はしんと静ま り返り、お互いの息する音が聞こえるほどだった。彼が講壇に設けられた自 分の席に着くと、人々の顔に隠しきれない微笑が浮かんだ。なぜなら、彼は まだ、紅顔の美少年にすぎなかったのである。彼の番が来ると、少年説教家 は、立ち上がって、テキストとなる聖書の個所を告げ、注意深く暗唱してお いた説教を語りはじめた。やがて言葉は、なんの努力もなしに流れ出ていた。 それは、声量豊かな音楽的な声であるだけでなく、優美なからだ全体から流 れ出る音楽であった。その中には、彼の言葉のメロディーを伴って、あらゆ る部分が躍動していた。それは偉大な説教であった。十八歳の少年にしては、 信ぜられないほど偉大な説教だった。正統派から見ても申し分なかった。明 りょうさと論理から言っても、一流と言ってよかった。また、美と説教効果 を取り上げても、長年説教を聞き続けてきた年寄りの説教愛好者たちの心を 打つものがあった。このとき以来、シンプソンのむすこについては、だれも 疑う者がなくなった。彼は、預言者の外套を着る者であることを自ら証明し たのである。ストイック派の聴衆は何も言わなかったが、彼を目で祝福し、 心で受け入れた。彼らは、この少年を誇りに思った。彼は頭がよいだけでな く、生まれつきの説教家なのだ。ただ、少しまだ若すぎるが、説教はりっぱ なものだ----。

   このような人々の間で信望を得るのはむずかしいものであるが、ひとたび 得たとなると、その評価はすぐに伝わって行く。チルバリーにおける最初の 説教以後、アルバート・シンプソンは聴衆を得るのになんの苦労もなかった。 いずれにせよ、説教家は決して多くいるわけではないうえ、この少年ほどの 才幹を持った説教家は全く珍しかったから、大小を問わず、多くの教会から、 説教を頼まれるようになった。

   大学に戻ると、彼は熱心に勉強し、急速に進歩した。彼が文字どおり、別 に努力もなしに自分の課目を食べ尽くしてしまったと言えるなら、そのほう が正確な言い方であるかもしれない。彼には人一倍すぐれた頭脳の賜物があ ったから、こつこつと詰め込むという方法は不必要だったのである。自分の 学課を容易に覚えることができたため、学生時代に、方々からたのまれる多 くの説教を引き受けることもできた。これは彼にとって、経済的な援助とも なった----経済的にはずいぶん苦しかったであろうから----そのうえ、生ま れつきの芸術、すなわち、大説教家の芸術を錬磨し、その技術をみがくよい 機会にもなった。

   家から送られて来る経済的援助に加えて、わずかながらも、時々頼まれる 説教の謝礼や、競争率の激しい試験に合格したために思いがけなく与えられ た奨学資金などで、彼は卒業まで学業を続けることができた。こうして、一 八六五年四月、彼はノックス大学を卒業したのである。

   ノックス大学卒業後二か月して、シンプソンは、他の候補生たちとともに、 カナダ長老教会の正牧師としての資格を得るために、トロントの長老会議に 召喚された。これは「正牧師候補者試験」と呼ばれ、試験官の態度はその名 に恥じないものであった。彼らは立派な櫛で、この若者たちの精神を細かく 分け、その心をろうそくで照らし出した。聖書に使われているヘブル語やギ リシア語、神学、教会史、教会管理----これらについて、候補者はどの くらい多く知っているかを、試験官は見つけなければならなかった(彼らは 多くの知識を要求されていたのである。そうでなければ牧師として試験に合 格しなかった)。このあとで個人的な霊的経験についての試験を受ける。ノ ックス大学にはいる許可を得るために、彼らがすでに純粋な霊的体験を経た 者であり、その資格があることを証明した事実は、問題にならなかった。こ の先輩の神学者たちは、自分が要求している事をはっきりと知り、また、神 が要求しておられる事を知っていると信じていた。彼らは、できることなら、 罪人や無知な者に牧師の資格を与えるつもりはなかった。そして、それがで きると思っていたのである。そこで試験の前に、準備のために読んでおかな ければならない分厚い書類が何種類か渡された。それは、ラテン語の論文、 覚え書き、大衆向きの説教や論文などで、冷酷無情にも、それを手本として 書かされるのである。

   それはさておき、すべての事が最善に運ばれ、やがてアルバート・シンプ ソンは、長老教会の牧師としての資格を与えられた。彼は障害を突破した。 そしてついに牧師になったのである。

第五章 「牧 会」



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