Jaspella Gospel Guide
facebook




そこであなたがたは、もはや異国人でも宿り人でもなく、聖徒たちと同じ国籍の者であり、神の家族なのである。
エペソ人への手紙 2:19

A・B・シンプソンの生涯
第五章 「牧 会」

   一八六五年の夏、それまで輝かしい存在であったロバート・アーヴィング博士が辞任して、その席があいたとき、新しい牧師としてA・B・シンプソンに招聘の手が伸ばされた。これは全くニュースだった。そして月曜日になると、実際に検討するため、教会員や牧師たちがそこここに集まって、話に花を咲かせた。シンプソン青年は、頭脳明晰で雄弁な説教家であることは事実だ。しかし、要するにわずか二十一歳にすぎず、それに牧師の経験もない。そのうえノックス教会は、カナダ全域で最も重要な教会で、その牧師職は、長老派牧師の精華ではないか。その講壇は、それを維持するのは不可能だと思われるほどの輝かしい伝統を作り上げた。なんと言っても学校出たてのひよこにできるわけがない----友人間のうわさ話は、このようなぐあいに伝わって行った。そして、このチャザム近郊の農家出の少年も、その中にはある真理が含まれていることを認めていたのである。

   ちょうど時を同じくして、オンタリオ州ダンダスの小さな教会からも、シンプソンを牧師に迎えたいという話があった。ダンダスは、明るいが活気のない小さな村であった。人々は裕福で尊敬されており、自分自身に満足していたから、飛躍的な霊的活動というものはなかった。とは言え、彼らは敬けんな人々であった。そして、古風な、活気のない教会----彼らは週に一度か二度は必ずそこに出席し、またそれを愛していた----を、維持し続けてきたのである。彼らは、シンプソンがまだ学生のころ、この雄弁な青年のうわさを聞いた。そして、その将来を見込んで、自分たちの牧師になってもらいたいと思ったのである。

   若い青年にとって、これは考えさせられる問題だった。後年彼は、自分の前に置かれたこの問題についてどんなに悩んだかを語っている。野心は「大きいほうの教会を取れ」と言い、謙そんは「小さいほうを取れ」と言う。このとき青年牧師は、これが神の試験であるとはつゆ知らず、ソロモンのようにためされていたのであった。彼は霊的背たけがもしあと一寸低かったら、彼は自分を謙そんにしておくために小さい教会を選んだかもしれない。あるいは、自分の野望を満足させるために大きいほうを選んだかもしれない。しかし、彼のひととなりは、そのどちらでもなかった。彼はまずすわって、こう考えた。もし小さなほうを取ったら、自分は小さなものを要求され、小さなものを与えるだろう。その結果は沈滞だ。自分は柔弱になり、成長は止まってしまうだろう。しかしもし大きい教会を取るなら、その大きな要求を満足させるために、いやおうなく立ち上がらされるだろう。そして、そう努力することによって、神が自分の内に与えて下さった賜物を成長させることになるだろう。小さな教会は自分をこわし、大きな教会は確かに自分を育ててくれる。そこで彼はノックス教会に承諾の旨を通知した。

   さて、A・B・シンプソンは、謙そんさだけでなく、劇的な事を好む人々に対して鋭い眼識を備えていた。彼自身、大げさな行事で自分を取り囲むことが好きだったから、一週間にわたる祝賀会の計画を自分で立てた。そしてすべての人が参加しなければならない重要な行事が、その週の間毎日幾つも行われた。そして自分は、ノックス教会の新任牧師としての処女説教を九月十一日に行うことにした。その次の日の午後、教区当局者の前で、祈りと按手とによって、正牧師としておごそかに任命されたのであった。その晩彼はトロント行きの汽車に乗り、次の日、結婚した! それから、セント・ローレンスまで新婚旅行に出たかと思うと、すぐに、カナダを横断してハミルトンに引き返し、それから、牧師館で、ノックス教会会員主催の花嫁花婿歓迎会に出席した。

   故郷の家を出てから四年、学校を卒業してから三か月で、彼はすでに大教会の牧師であり、按手礼を受けた聖職者であり、しかも結婚していた。

   彼の妻となった女性は、マーガレット・ヘンリーといい、その父はトロントのジェニング博士の教会の長老であった。彼らは約四年間交際し、その四年間の前半に婚約をしていた。気質の上では、マーガレットは、神経の鋭い詩的な夫とは正反対であった。そして、夫を百パーセント理解したことが決してなかったと思われる理由もあるのだ。それから五十余年のちに彼が死ぬまで、彼女にとって、夫は何か理解のできない相手だった。彼女は、夫の宗教的確信に常に同調していたわけではなかったが、半世紀以上にもわたって彼の忠実な妻であり、六人の子供のいる家庭のために自分をささげたよき母であった。晩年、彼女はキリスト者として熱心な働き人となり、牧師である夫の公の仕事のためのよき助け手となった。

   彼がハミルトンで牧師をしていた後年の時代の写真が残っているが、それには、ひだのたくさんついたすそまである黒いガウンを着て、白いネクタイを締め、カメラをいくぶん意識した若い牧師の姿が写っている。その整った容ぼうには知性のひらめきがあり、印象的な顔だちである。

   彼は、同じ年ごろのチャールズ・G・フィニーにどこか似ていた。ただ少し彼のほうが確信に欠けてはいたが。そのひとみは、大きな心配事で悩んでいるように見えた。心配そうに見えるのは、単なる想像ではなく、確かにその理由があった。彼はまだ日の光の中に出ていなかったのである。大わしはまだ、堅い大地に鎖で縛りつけられていたが、そのひとみは、山々の向こうにある緑の平野を、すでに捕らえていたのだ。そして、高い峰から聞こえる呼び声を聞いていた。それに対して、なんと呼応してよいか、まだわからなかったのだ。聖霊が彼の生涯を喜びにあふれるものと変えた、危機を乗り越える経験をする前の彼の写真には、ほとんどどれにも、穏やかな苦悩の影が見えるが、その経験ののちには、その影は全く消えてしまっている。それは、サウロの目からうろこが落ちたように、なくなってしまったのである。

第六章 「彼の十字架上の死」



Arisu Communications

JCFN New York