Jaspella Gospel Guide
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生きているのは、もはや、わたしではない。キリストが、わたしのうちに生きておられるのである。しかし、わたしがいま肉にあって生きているのは、わたしを愛し、わたしのためにご自身をささげられた神の御子を信じる信仰によって、生きているのである。
ガラテヤ人への手紙 2:20

A・B・シンプソンの生涯
第七章 「福音を大衆に」

   他の者たちはどうであろうと、シンプソンはもはや、規定された牧師の仕事だけをしてそれ以上の事は何もしないというやり方に戻ることができなかった。伝道しなければならない。これは、彼の血の一部分となり、何ものをしても彼を止めることはできなかった。彼は、ルイビルの牧師たちに、各教派連合の伝道集会を冬ごとにに毎週日曜日の夜図書会館で行うことを提案した。彼らはシンプソンの熱意に心を動かされはしたものの、長い間の習慣として行ってきた日曜の夜の正規の集会を断念する気にはなれなかった。何週間かの大集会を一度開くのなら悪くはない。しかし、それを毎年行い、しかも長年続けるとなると、どうも……そんなことをすれば、教会員の良風をそこない、そのうえ、財政にも影響しますからねえ----。これは、宗教的熱意と興奮に対して平手打ちを食わせるようなものだった。すべては礼儀正しく、順序よく行わなければならない。結局彼らは、そのような個人的な事に同意するのは賢いことではないと感じ、反対の意志表示をした。こうしてシンプソンの提案は否決された。

   しかしながら、チェストナット街教会の牧師A・B・シンプソンは、同労者たちの礼節ある議論によっては計画をやめる気持ちにはなれなかった。確かに彼らの言う事には一理がある。しかし、ルイビルの市街を、何万という人が、救われる希望もなく歩いているこの恐ろしい事実に対して、どうしようというのだろうか。もし教会が、慣例どおりの事だけをしているなら、望みなき人々は、そのまま永遠に救われないだろう。これまでに彼らは、この何万という魂に届いていなかった。そしてたった今、彼らに対して伝道しようとさえしないという意志表示をしたのだ。

   シンプソンはこの問題を、自分の教会の人々に訴えた。すると、まるで輸血をしたように、彼らの血管の中に新しい血が流れはじめた。彼らは、回心したばかりの人々の群のようになり、新鮮なあかしの言葉が出て来たのである。そして、自分たちの牧師の言葉に聞き入った。それから幾週間もたたないうちに、チェストナット街教会では日曜日の夜の集会が取りやめとなり、全会衆は一団となって、夜の集会のために図書会館に集まるようになったのである。このニュースは、火のように広がって行った。そしてまもなく、会堂には、ルイビル市内および近郊からのあらゆる階級の男女がひしめき合うようになった。シンプソンは、以前の自分が知らなかった、また以前の彼の説教を聞いていた人々も知らなかった恵みの福音を、滅びゆく罪人たちに説教した。彼は、人々の心に直接訴えたのである。彼らは失われた者であり、神は彼らを愛しておられ、キリストは彼らのために死なれた。今、神は、ご自分のところに帰るようにと彼らを招いておられる。彼らは直ちに帰るべきだ。遅れてはならない。待っていてはならない。彼はキリスト教の真理を、すでに知られている結論として受け入れていたので、半分納得した人や不信仰の人々と議論することによって和解の宣教からはずれてしまうのを避けた。七日間の天地創造説にだれかが異議を唱えようと、聖書の霊感説に一ダースの異議があろうと、あるいはほかにどんな異議が出て来ようと、その方法が説明されれば直ちに神に向かおうと待ち構えている人が百人あるとき、それがどうだというのだろうか。彼は宗教的な論争には、なれていたが、賢くも、失われている人々の前でそのような事をしようとは思わなかった。そこで彼は、直接人の心に向かって、彼の力の及ぶ限り、彼らをキリストに導くために努力しはじめた。

   日刊新聞は、この日曜の夜の伝道集会の話を取り上げ、第一面に掲載した。たぶん彼らは、教会の尊厳さにあきあきし、単純で人間的な講壇の風味を、ちらと味わったのだろう。あるいは、新聞記者として、理由はどうであろうとニュース性のあることを認め、特別な関心の対象として、シンプソンの夜の集会のことを取り上げたのかもしれない。毎週月曜日になると、前日の彼の説教の、少なくともその大部分が、ルイビル市内の新聞に載せられた。どんなに大きい有料の広告も、出席率をこれほど押し上げることはできなかっただろう。実際、人が集まるかどうかということは、問題にならなかった。問題は、群を成して来る人々を入れる余地があるだろうかということだった。

   シンプソンは、ホイットルとブリスから、すぐれた宗教音楽の価値を教えられていた。それで、毎週日曜日の夜に、図書会館に集まった群衆は、当時としては最高級の音楽を聞くことができたのである。彼らは、独唱から聖歌隊の合唱まで、あらゆる種類の声楽を楽しんだ。また古い教会の愛唱歌や、当時のキリスト者の音楽家たち、サンキ、ブリス、クロズビなどの作った福音的賛美歌をうたうときは、自分たちも大合唱に加わった。大衆的? そう、確かに大衆的だった。そして会堂の中にいる、実を結ぶことのない「学者や長老たち」の多くの者は、それに対してまゆをひそめた。しかしシンプソンは、「大衆的」と言われることを、少しも恐れなかった。大衆的とは、「人々のための」という意味である。そして、彼が関心を持っていたのは人々なのだから。牧師の尊厳さは、自然に身に備わるものであり、また、そのために弁護してくれる人には決して事欠かない。しかし人々----罪深く、親しみやすく、神を求めている大衆----がいる。退廃した正統説の、何人かのきびしい保護者たちがなんと言おうと、彼らの意見より大衆のほうが気にかかる。こうして合唱は続き、群衆はそれを愛して、毎週必ず集会に出席するのだった。

   A・B・シンプソンは、自分の目に映るこの光景を喜んでいた。そして、これこそ自分の仕事であると、かつてないほど強く感じていた。うろこが落ちて、はっきりと見えはじめてきたのである。囲いの外に迷っているもののことを考えもせずに、養われ、いたわられ、夜の休み場を与えられている小さな群に満足している古い考え方に、がまんできなくなった。伝道しなければならない。自分の教会は、まず、伝道的でなければならない。その他の事は、伝道の仕事をなし終えてからの事だ。そこで彼は、全く新しい計画を推し進め、人々の前にそれを示した。それは、市の中央に、月並みの会堂の様式を離れて、実用的に設計された教会を建てようというのである。場所は人通りの激しい所を選ぶ。それは、ならず者や、浮浪者や、だれからも助けの手を伸べてもらえない人たちが、ぼろや、流行遅れの服装にも気兼ねなく来る所、平凡なひとたちが大家族を引き連れて来ることのできる所、礼拝中に赤んぼうが泣いても気兼ねせずにいられるような所でなければならない。要するに彼は、自分の教会がルイビル市全体の伝道の中心となることを望んだのであった。もはや世評などを気にかけることなしに、ルイビル市の失われゆく人々のための教会になってほしかった。チェストナット街教会はすでにりっぱにでき上がった教会であったが、少し刺激が必要だった。その事を理解することができなくて群を離れた少数の者を除いて、教会員は、この基本的な段階を採ることに同意した。

   新しい教会は、ブロードウェー・タバナクルと名づけられた。シンプソンは、この教会の建造後二年間ルイビルにとどまり、救いのメッセージを聞くために集まって来る大群衆に説教し続けた。彼の夢は実現しようとしていた。ルイビル市は福音を聞き、何百人という人々が神に向かいつつあった。

第八章 「あの夢見る者がやって来る」



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