Jaspella Gospel Guide
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この人による以外に救はない。わたしたちを救いうる名は、これを別にしては、天下のだれにも与えられていないからである。
使徒行伝4:12

A・B・シンプソンの生涯
第八章 「あの夢見る者がやって来る」
(参照・創世記37:19)

   神は、ご自分の心に従う者を見いだされた。一つの教区、または一つの市に閉じ込めておくには、偉大すぎる男だ。ウェスレーの言葉のように、彼の教区は全世界であるべきなのである。A・B・シンプソンは、ようやく神の目的を感知しはじめてきた。しかし、このとき、自分の前に置かれている任務がどんなに大きなものであるかを知っていたかどうかは、いささか疑問である。ちょうど、モーセが燃えるしばの前に立ったときのように。彼の耳に、まるで夢のような、不思議なささやき声が、絶えずこうささやき続けていた、「おまえの立っている土地は、おまえにとってためにならない」。彼の内にはまだ、確立した教会に対する強い愛着があった。自分の教派に属している間に、彼の大きな目的を実行したいという願いがあった。彼がそれをなしえなかったということは、彼にとって少しも不名誉ではないのだ。

   彼の歩みはおそく、前方は少ししか見えなかった。しかし、摂理の段階を一歩ずつ前進することによって、一歩ずつ明らかになっていった。彼は自分で知らないうちに、規定どおりの証人としての道を歩んでいたのだ。すなわち、「エルサレム、ユダヤとサマリヤ……さらに地のはてまで」とある。ハミルトンが、八年間の彼のエルサレムだった。ルイビルはユダヤだった。そして、いよいよサマリヤに移るために落ち着かない気持ちだったのだ。その次は、キリスト教会史においてほとんど知られていない「地のはて」が来る番である。彼はこの事をまだ知らなかったが、ただ一つの事がわかっていた。福音を知らない人々の呼び声が彼の心に響いていた。そして、どこか大きな伝道分野のほうに強い引力を感じていた。もしかすると、ニューヨークかもしれない。しかしそれもわからない。いずれにせよ、宣教活動の中心地に近づきたい。そして、ニューヨークはどうもそれらしかった。

   シンプソンは、海外宣教に対して、常になんらかの関心を持っていた。父親は、宣教師に対していつもあたたかい友人だったから、物心のつく時分から、海外宣教のことがテーブルで語られるのを聞いていた。まだ幼いころ、殉教した宣教師ジョン・ウィリアムズの話を聞いて、心の底から感動したものだった。そのとき彼は、自分も宣教師になりたいと思った。それから今日に至るまで何度も、彼は自分の頭の上にジョン・ゲディーのきよい手を感じた(あるいは、感じたと思ったときがあった)。あの、南洋諸島への偉大な使徒が、彼を神にささげたときの、自分の洗礼の場面は、あまり小さかったので覚えていないが、母親は、そのときのふんい気や事実を、決して彼に忘れさせなかった。そして、その事がいつも彼の頭の中に、義務と祝祷のように残っていたのだった。

   ある夜、彼は眠ろうとして横になっていた。失われた世界のことを意識して考えていたわけではなかったが、潜在意識として非常に心にかけていた。理性では、彼は自分が宣教師になることを確信していた。しかし、それだけでは満足できなかった。宣教師になるための過程は、何もかもあまりに人間的であり、頭脳的であり、テキストと計算上の問題でありすぎる。それらの事は皆、彼の心にあるものの半分でしかない。彼は、あとの半分を待っていた。それは突然起こった。彼はそのときの事をこう言っている。

   「ふと私は目をさました。そして、私をおおっている神の力を、不思議な、厳粛な思いで感じ取って身震いした。私の魂は、そのときまで見続けていた不思議な夢の記憶で燃えていた。私は、非常に大きな会堂の中にすわっているようだった。何百万という群衆が私の回りにすわっていた。世界中のキリスト者がそこに集まっているらしく思われた。講壇の上にも、何千何万というおびただしい人の顔や人影が見えた。その人たちは、どうも中国人らしく見えた。だれもひと言も言わなかった。そして、両手をねじって、無言のうちに苦しみもだえていた。彼らの顔に浮かんでいた表情を、私は決して忘れることはできない。このような幻から目がさめたとき、聖霊のご臨在を感じて身が震えたのである。私はその場にひざまずいた。私のからだじゅうが、『はい、主よ、参ります』と言っていた」。

   開かれた天や神の幻を一度も見たことのない、くるぶしまで泥にまみれている地上を歩くキリスト者には、このような事は皆ばかげていて、感情的すぎ、あまりにも極端であると思われるかもしれない。しかしこれが、神の王者の荒わし、預言者、使徒、改革者、あるいはリバイバリストと呼ばれる人人の歩む道なのである。彼らは高い所を飛翔し、遠くまで見通しているから、他の人から理解されないからといって、それほど驚くにはあたらないのだ。大空を愛し、太陽の光の中でかん高い声を張りあげている大わしの姿は、庭をひっかき回して満足しているめんどりには、わけのわからない存在かもしれない。しかしそんなことは、わしに対して議論をふきかける理由にはならないのである。

   霊的な偉大さを真にためすものは、時間である。A・B・シンプソンは、このテストに勝ちを得た。彼が世界伝道の夢を見てから今日に至るまで八十六年たち、この夢を実現に至らせるために、彼の呼びかけによって団体が組織されてから七十五年を経過しているが、彼が設立したこの仕事は、二度の世界大戦の緊張に耐え、大きな不景気を三たび経てきてもなお、年ごとに強力になっているのである。それは、至る所に見られた、社会における道徳の革命、知的階級の主義の転回、教会内の神学の変更、信仰方法の根本的変化などを、幾たび通り抜けてきたことだろうか。しかし、依然としてその働きは、右にも左にも曲がらず、初めの幻は光を失わず、初めからの目的は変わることなく続いているのである。

   一八七九年の前半は、A・B・シンプソンの生涯にとって、重要な時期だった。世界伝道に対する彼の呼びかけはますます強くなり、その計画は形をとりはじめようとしていた。「地のはて」こそ、彼の伝道地として任命を受けた所であるという確信は、いまやますます強まり、これが神から与えられた幻であることは確実となった。「両手をねじって、無言のうちに苦しみもだえていた」群衆の夢の意味が、しだいにはっきりとしてきた。そして彼は、「はい、主よ、参ります」と神に約束したことを忘れはしなかった。

   シンプソンの言葉で言う「夢を見る」とは、この世の険しい現実から離れて、どこかのぞうげの塔に閉じこもり、そこにすわって楽しい空想にふけることではない。むしろそれは、戦法を定め、攻撃する兵力を集結するために、敵の位置と武力を偵察し、探ることだった。

   すると突然、彼の行くべき道が明らかにされた。ニューヨークから、来てほしいという要望があったのである。ニューヨークの十三番街教会のバーチャード博士が辞任し、役員たちは、その後継者はA・B・シンプソン以外にないと断定したのだ。彼は以前、その教会で説教をしたことがあり、教会員にとって全然知らない人ではなかった。要望は、心からのものであると同時に、緊急のものだった。行くべきだろうか? しかも直ちに? それを決めるのに手間は取らなかった。自分の内部には、行けという強い使命感がある。そして外部からは、来てほしいという要望があるのだ。彼は直ちにルイビルの教会の職を辞すると、新しい宣教地であるニューヨークに移り、いよいよ伝道を開始した。一八七九年十一月のことだった。

   新しい牧師の到着は、十三番街教会のあり方を、根こそぎにひっくり返してしまうことになった。人々は、彼の到着と同時に、新しい霊的な衝撃を感じた。出席者数は急速に増加し、多くの人が回心して、教会員が新たに加えられた。こうして何か月かが過ぎたが、役員たちにとっては、何もかもよく見えた。全く満足だった。もし、牧師が自分の教区に専念してくれて、通りをうろついている貧乏人や罪人たちに大きな関心を示しさえしなければ……。確かに、彼らの救いのためにはだれかが労さなければならない。しかし、上流社会の人々の集まる十三番街教会の牧師が何もそこまでしなくても……。この教会は救済事業の団体ではないのだから。彼らは、牧師がこの事に留意してくれればよいと願っていた。教会員は皆、裕福で、社会のトップクラスに近い人々だった。そして、ほんとうのキリスト者であり、自分の教会を強力にすることであれば、どんな計画に対しても、援助を惜しまなかった。また、自分たちと同じ種類の人であるなら、どんな新入会員も歓迎した。しかし、要するに教会は教会であって、つまり、その、平民たちの、あまりエレガントでない影響を受けないように守らなければならない……。

   シンプソンは、彼らの態度に気がついていたが、それをどうすることもできなかった。彼の幻は一つの教会よりも大きく、その愛は、一つの社会的階級よりも深かった。彼は、自分の教会が、排他的な狭量を捨てて、大衆伝道のための中心となるようにと望んでいた。しかし、役員たちにはこの事がわからなかったのである。明らかに、十三番街教会には、維持すべき伝統があり、守るべき威信がある。彼らは、かなりの不安をもって牧師をながめていたが、当分の間は優しい態度を示し、自分たちの心配を外に表そうとしなかった。彼らの講壇から、そのような巨人を失うなどという危険をあえて冒そうとは思わなかったのである。私たちの先生はまだ若いし、それに西部から来たのでごぞんじないのだ。やがて東部の方法を学ばれるだろう----。

   ところがある日、礼拝の始まる前に、牧師が来て、集まっている人たちに、イタリア街から百人ほどの回心者をこの教会に連れて来てもよいかと尋ねた。この回心者たちは、彼が近隣の貧しい人たちのために路傍伝道をして勝ち取った人々であった。会衆は、この若い牧師に、断固とした、しかし親切な態度をとる時が来たと感じた。そこで、こう言った。

   「貧しいイタリア人たちがキリストに導かれたことは、この上なくうれしい事です。しかし、先生は、私達の仲間に彼らが加わるべきだと、ほんとうにお考えになったのですか。でも、あの人たちは、社会的に違った階級に属する人たちではありませんか。あの人たちと同じ階級の間に教会を見つけてあげることはおできにならないのですか----」。

   シンプソンは、そうできるだろうと答えた(そして、のちにそうしたのであるが)。しかし、この経験を通して、普通の教会、少なくともこの教会という媒体によって、自分の計画を実行しようとすることが、どんなに無益であるかを知った。彼はこの拒絶を快く受け入れ、そしてまた夢を見はじめた。しかしその夢の中には、十三番街教会は含まれていなかった。

第九章 「不老の泉の発見」



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