【てんぷる通信】

by Kayo

September 26th, 2002
Vol. 6

「みこころが天に行われるとおり、地にも行われますように。」
(マタイによる福音書6章10節)

 前回(Vol. 5)に引き続き、滋賀県からです。

 昨年の10月に、日本で母が集っている教会(私も一時帰国した時には礼拝に出席していましたし、今も集っている教会です)の牧師先生に宛てた手紙の中から抜粋したいと思います。


 主の御名を賛美致します。(略)

 うまく説明できないのですが、しばらくは曜日感覚と時間の感覚が戻らなくて、いつの間にか時間が過ぎていっているようでした。体内時計が狂ってしまっていたようで、朝起きて夜眠る、ということは当たり前のことではなくて、心身共に守られているからこそだと思いました。

 あの事件の直後、あまりのことに、本当に世の終わりが近いんだ、と思いました。また、クリスチャンの友人の中には、これは神様の裁きだ、と言う人も多くいました。 アメリカは悔い改めるべきだ、と。 どうしてもすっきりしなかったのですが・・・(略)・・・これが神様の裁きなのかどうかをはっきりさせることは、今の私にとってそんなに重要なことではないとも思い、よくわからない状態が続いていました。 アメリカに住んでいる日本人として、アメリカが国として個人として悔い改めるべきだとか、言うものでもないと思いましたし、こんなことはパールハーバー以来だ、という報道を聞くと、悲しくもなりました。

 あの事件から2週間後の週末、ミネソタに行きました。こんな時に飛行機に乗るのは・・・とも思ったので、予定していたフライトがキャンセルになれば中止にします、と祈っていたところ、予定通りフライトが飛んでいたことと、少しの間だけでもマンハッタンを離れたい、という思いで、行ってきました。

 もともとは友人に会うことと、ミュージカルを見ることが目的でしたが、私が訪れた週の金曜日と土曜日に、Ms. アン・グラハム(ご存知だとは思いますが、ビリー・グラハム師の娘です)の、"Just Give me Jesus" というセミナーが行われていて、感謝なことに、ひとつのセッションに参加することができました。(略)

 最初の賛美の時、全会衆が主の栄光をほめたたえているのを聞いて、あの事件以来、初めて心から泣き、いろんな思いを涙とともに注ぎだしました。

 そのセッションでは祈りについて語られ、聖書の引用箇所は主の祈りのところでした。あれ以来、犠牲者のこと、犠牲者の家族のこと、救出作業のこと、いろんなことを祈ってはいても、心からの祈りにならなくて、うわすべりの祈りをしているようでつらかったのですが、そうだ、祈れない時はイエスさまが教えて下さった主の祈りをささげればいいんだ、と思い、会衆とともに、祈りました。

天にまします、我らの父よ。
願わくは御名をあがめさせたまえ。御国を来たらせたまえ。
御心の天になるごとく、地にもなさせたまえ。

 でも、ここまで祈った時にとまってしまいました。私も乗っていたかも知れない、ユナイテッドやアメリカン航空の民間機が見慣れたワールド・トレード・センターのビルに突っ込んでいく映像や、そのビルが崩れ落ちていく映像、現場から数キロ離れたオフィスのあたりからでも見えた不気味に広がる黒煙や、風向きによって時おり漂ってくる異臭がよみがえりました。

 神様。これが天で行われるあなたの御心ですか、こんなことが、あなたの御心なのですか、と祈ったとき、以前聞いたクリスマスのメッセージを思い出しました。

 イエスさまがこの地上に来られたとき、それは素晴らしい栄光であったけれども、そのかげで、ベツレヘムとその附近の地方とにいた2歳以下の男の子がヘロデ王の一言で皆殺しにされた。 イエスさまの人間としての誕生は素晴らしい喜びであったけれども、それとひきかえに流された血と涙は壮絶なものだった(注:マタイによる福音書2章16節)。

 このメッセージを思い出しました。

 自分の子供を殺された母親たちは、それが神の子が地上に来られたからだとは、その時には決してわからなかったと思います。30年後、イエスさまが公に姿をあらわされたときにも、30年前に自分の子供が殺されたことと結びつけて考えることは難しかったと思います。

 このときに殺されたものすごい数の幼子たちと、今回の事件で命を失った人たちとが、私の中で重なりました。 イエスさまが地上に来られたことは、完全な主の御心でした。 でもあまりに偉大なご計画だったため、地上で支払われた犠牲も半端じゃなかった。

 2000年前にベツレヘムとその附近で起こった悲劇から30年後に、イエスさまが公生涯を始められて神の御心をまっとうされたように、今も主のご計画は確実に進められている、とわかったとき、すっきりしなかった胸のつかえが取れました。

 無事だったのは守られたから、とか、そんな次元の話ではない、とはっきりとわかりました。 人の命は完全に主の主権のもとにあり、この地上のすべてのことは、主の主権によって進められているのだと、全身が震える思いでした。

 不思議と、このようなことがあっても、日本に帰りたい、とは思いませんでした・・・(略)・・・今は、このような時に私をNYに置いて下さっている主に、心から感謝しています。(略)

 主にすべての栄光をお返しし、感謝と賛美をささげつつ。


 あの事件、という言い方をしていますが、この頃は「テロ」という言葉をタイプすることすらできなかったのを思い出します。 この後、NYでは、アメリカン航空の飛行機事故、炭そ菌事件、と続き、緊張状態が続いていましたが、そんな中で、すべてのことは神の許しなしでは起こらない、という確信が、NYで生活していく支えになっていました。

 どんなことでも起こりうる今の時代に、イエス・キリストを信じて生きる幸いを、感謝しています。

「みこころが天に行われるとおり、地にも行われますように。」
(マタイによる福音書6章10節)